ヘッサ・リヤ
[ヘッサ・リヤ]
統一暦722〜784年ジュエニクの建国王。
生い立ち
バーズイタの中規模の部族に生まれる。親が部族の中心にいたこともあり、成長するに従い部族の重要な役割を担うことになる。若く血気盛んだったヘッサは、トルネオにより部族の地位向上を願ったが、ヘッサの親を中心とした年配者に反対されてしまう。納得がいかなかったヘッサは部族のエヌル石を勝手に持ち出してしまう。最初のトルネオで勝利したヘッサは自分が間違っていないことを証明したと次々と戦いを挑むことになる。しかし、最初の戦い以降、ヘッサが戦いで勝つことはなかった。トルネオに敗れたヘッサは一族から逃げるように姿を消したという。
海との出会い
アデテワにたどり着いたヘッサが目にしたのは広大な海であった。その光景を見て、水軍によるバーズイタへの進出を夢見たヘッサは、水軍を組織する。この頃、アデテワはサシア海を巡る争いが一段落をしていた時期であったが、それまでのサシア海を巡る争いにより、アデテワに対する不満が蓄積していた状態であった。ヘッサは、サシア海を中心とした国を作ることで、情勢を安定させることが出来ると説得し、水軍を組織したという。
そして、ヘッサは後にヘッサの変と呼ばれる反乱を起こすことに成功し、アデテワを乗っ取り、滅ぼすことに成功し、ジュエニクを建国する。
ジュエニク建国の混乱に乗じて、ラニアーフがサシア海への進出を果たそうとするが、サシア海に住む者たちをまとめ上げた事に成功したヘッサはこれを撃退、更にラニアーフを吸収する形で消滅へと追いやることに成功する。
ヘッサはこの兵力を元にバーズイタへの侵攻を考えていたが、サシア海外部へ出ることを嫌がった住民から積極的な協力を得ることは出来ずに思うような成果を上げることは出来ず、その野望を果たすことは出来なかった。
関連年表
統一暦722年:ヘッサ・リヤ、生誕。統一暦750年頃:ヘッサの変、ジュエニク、成立。
統一暦784年:ヘッサ・リヤ、死去。
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