ukariko Creation

ukariko Creationについて
ブログ
リンク
メルマガ

アデテワ

[アデテワ]

マギク大陸の南西に位置し、サシア海に面していた国。
対岸のアガースイヌ大陸ラニアーフと長い年月、サシア海の領有権を争っていた。

成立

統一暦500年頃成立したと言われている。元々はサシア海の島々を中心とした、国というよりは生活圏が一致する集団程度のものであったが、サシア海を使わずに北央海西央海を使ったフーリメ大陸との交易が盛んになり、様々な者が集まるようになり国として機能し始める。そのため、初代国王ビミリガ・ダルは交易の中心を担っていた者であった。小国であったこととサシア海という、そこに住む者たち以外にはそれほど魅力を感じていない海に接していたこともあり、比較的安定した国として栄えていた。

海を巡る争い

サシア海を挟んで対岸にあったアガースイヌ大陸のラニアーフはアデテワとほぼ同時期に成立した国である。アガースイヌ大陸側の交易の窓口としての役割を担っていた。アデテワとラニアーフの間では、サシア海はどちらの国に属しているということはなく、両者共にサシア海を自由にできるという暗黙の了解があった。これは領海としての魅力がそれほど無かったことと、領有権を巡りサシア海に住む者たちの反感をわざわざ買う必要もなかったからである。これが一変したのが統一暦636年のクガード宮殿の発見である。
クガード宮殿を調査するときに、その調査のための資金を必要としたコーディ・デルサはクガード宮殿の権利がアデテワにあるという発言をし、当時の国王アプラセト・リアがその気になってしまったことがその発端となる。
アプラセトはクガード宮殿が姿を現すと当然のように権利を主張したが、ラニアーフはそれを是としなかった。議論が平行線をたどるようになり、その解決策をコーディに任せようとしたが、コーディはすでに姿を消していた。
こうして、議論の決着が見えなくなったアプラセトはサシア海の領有権を主張するために軍事的手段に出る。
この挑発にラニアーフが乗ったことで両国の間で戦いが始まってしまう。
この両国の争いは、初期の数年を除いて断続的に行われていく。当初の争いの理由であったクガード宮殿は戦いの序盤に失われてしまったが、その戦いはサシア海の領有権を争う戦いとして続いていった。
サシア海の島々を巡って小さな小競り合いをすることで続けられるが、長く続く戦いにうんざりした島々がそれぞれの国を無視することで戦いは収束の方向に向かう。
統一暦740年頃にはこの戦いは終焉を迎えたとされている。

亡国への道

統一暦750年頃には、再び元の小さな安定した国という立場を取り戻しつつあったが、アデテワを乗っ取り、マギク大陸の覇権を狙おうとしたヘッサ・リヤによるヘッサの変によりあっけなく滅んでしまう。
なお、アデテワが滅んだ後、ヘッサによりジュエニクが建国されている。

関連年表

統一暦500年頃:アデテワ、成立。
統一暦636年:クガード宮殿の発見、以後、アデテワ、ラニアーフのサシア海を巡る争いが始まる。
統一暦740年頃:アデテワ、ラニアーフのサシア海を巡る争いが終焉。
統一暦750年頃:アデテワ、滅亡。


ukariko Creation Topへ
Copyright (C) 2005-2013 うかりこ. All Right Reserved