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コーディ・デルサ

[コーディ・デルサ]

統一暦608〜652年
古代王国の遺跡であるサシア海クガード宮殿を発見調査した者。

生い立ち

アデテワの海辺の町で生まれている。海辺の町で生まれた者の大半がそうであったように、コーディも船乗りとなることを夢見て幼少時代を過ごしている。
しかし、病弱ではなかったが、それほど強い身体を持たなかったコーディは船乗りではなく陸から海を調査するような仕事に就くことになる。

発見した物

頻繁ではないが、実際に海へ赴いて行う調査にもコーディは参加していた。その時の調査内容は海流の調査であった。複雑なサシア海の海流を明らかにするために継続的に行われている調査の一環であった。この調査でコーディは誤ってサシア海に落ちてしまう。
そこで偶然に発見したのが、後にクガード宮殿と分かる古代遺跡であった。
最初、コーディの話を信じる者は少なかった。
この当時、アデテワとサシア海を挟んで対岸にあったラニアーフの間では、サシア海についての領海に関してはあまり明確ではなかった。領海としての魅力がそれほどなかったことと、サシア海を両者共に自由にできるという暗黙の了解があったこと、そこに住んでいた者たちの反感をわざわざ買う必要もなかったからである。
コーディは、アデテワ、ラニアーフの両国に働きかけて調査をするように進言する。しぶしぶながら認められた調査の結果、クガード宮殿の存在が明らかになり、宮殿がかつては浮かんで物であることが分かる。
コーディは宮殿を再び浮かせるためには、更に多くの両国の助けが必要となった。共に、領海を主張していなかったアデテワとラニアーフは見つかった物が自分達の国の物になるのか半信半疑であったが、コーディは両国にそれぞれ所有権があると丸め込み協力を得ることに成功する。
この両国の協力があり、コーディはクガード宮殿を浮上させることに成功する。しかし、この浮上したクガード宮殿の豪華さに眼を奪われた両国は互いに、その領有権を主張し始める。
一方、コーディはクガード宮殿を浮上させることに成功したのには満足したが、その結果両国の対立を生んだことに恐怖を覚え、その争いから逃亡した。
両国の争いが決定的となり、武力衝突となると、その責任を感じたコーディは密かに元凶となったクガード宮殿を再び海中に葬りさることを計画するが、それは実行されることはなかった。
クガード宮殿は両国の争いの中で再び海に沈んでしまうことになるが、両国の対立は収まることはなかった。

関連年表

統一暦608年:コーディ・デルサ、生誕。
統一暦652年:コーディ・デルサ、死去。


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