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エスト・スファイア

[エスト・スファイア]

統一暦275〜353年
ポストマーズの建国王。
ポストマーズにおいては、偉大な王として称えられている。

生い立ち

詳細な生い立ちは不明で、生まれた場所や両親に関しては謎とされているが、フーリメ大陸の出身、又は西の蛮族の出身ではないかといわれている。
ポストマーズで伝わっている建国にまつわる物語では、数十人の民を連れて彷徨いながら北を目指していたとされる。その目的は最も困難であると思われる土地に恵みをもたらすことだったと言われている。
この話を懐疑的に見る者も多く、生まれた土地から逃げなければいけない状況であったのではないかと考えている者も多い。
いずれにしろ統一暦310年頃、ポストマーズを建国したと云われている。

偉大なる建国王

その出自に関しては、不明点が多いが、絶対的な指導力と力を兼ね備えていたことは事実だと考えられている。そのはっきりした証拠は、建国後およそ30年で後のポストマーズの領土とほぼ同じくらいの領土の拡大を実現したことである。
その際に自ら先頭になり、未開の地を切り開いたと語られており、幾多の魔物や厳しい環境に打ち勝ったといわれている。
これらは建国王の話として伝わっていて、大地を凍らせないために炎の土と呼ばれた土を探した話や巨大な熊の魔物ベアリブムから町を救った話などが残されている。
多少の誇張はあるにしろ、概ねそれらは事実だと考えられている。
偉大な建国王としてエストの名は称えられていて、大陸戦争の混乱の後、再興したポストマーズにおいて、ポストマーズの王となった者にエストの名を冠することが決められたことなどがその象徴である。
これは、エストの功績を称えると同時に、ポストマーズ王の権限が絶対であることを示している。

父親として

建国王としては偉大であったことを否定する者は少ないが、父親として自分の子供を見る目があったのかは疑問を持つ者は多い。
統一暦341年、年老いて病がちになったエストは三人の王子に国を任せることにした。この際に、三人の一人を後継者とするのではなく、国を、ソマーズロマーズトマーズの三つに分けて長男のソリューアント・スファイアにソマーズ、次男のロアド・スファイアにロマーズ、三男のトリアルト・スファイアにトマーズをそれぞれ統治させた
エストにしてみれば、兄弟でそれぞれの特色を活かして国を治めて欲しいという願いであったが、同時に自分に継ぐに相応しい人物がいないと考えていたことも事実であったようである。
エストは自分が死んだ後の事を考え、自分の腹心で建国の時から共に戦ったマゥオ・ラムアに次期国王を打診したこともあるとされている。しかし、マゥオは自身の高齢とそれでは国に混乱が起きるだけだと固辞した。その代わり、混乱が起きないよう注意深く国を見守ることを約束した。
しかし、マゥオはエストの死後、すぐに後を追うように病に倒れそのまま亡くなってしまい。結果的にその後のポストマーズを見守ることはできなかった。

関連年表

統一暦275年:エスト・スファイア、生誕。
統一暦310年頃:エスト・スファイア、ポストマーズ建国。
統一暦341年:エスト・スファイア、ポストマーズを三つに分け、三人の息子に与える。
統一暦353年:エスト・スファイア、死去。


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