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ソリューアント・スファイア

[ソリューアント・スファイア]

統一暦300〜382年
ソマーズの初代国王。
ポストマーズ建国王エスト・スファイアの長男。
武勇を誇る武人。自身の才を活かしソマーズに強力な騎士団を作り上げる。
エストの死後。ポストマーズの王となり、ソマーズ、トマーズロマーズを統一しひとつの国にまとめようとするが、弟のロマーズ国王ロアド・スファイアの反対を受ける。ソリューアントは武力により事態の収拾を図ったが、ロアドによる激しい抵抗と、もうひとりの弟トマーズ国王トリアルト・スファイアの存在により事態は収束に向かわずに混乱へと向かってしまうことになる。

生い立ち

後のポストマーズ建国王エストの長男として生を受ける。ソリューアントが生まれた当時はまだポストマーズは建国されておらず、エストのマギク大陸での本格的な活動がはじまった時期であった。そのため、決して恵まれた環境で育てられたわけではなかった。しかし、エストは自身が王になることを微塵も疑っておらず、自身の腹心、そして、跡継ぎとして厳格に育てられる。ソリューアントは特に武勇に秀でており、エストもやがては自身を超える武人になると語っていた。
しかし、王としての資質に関しては疑問を持っていた節がある。それは自分の思い通りにならないとその力を持って叶えようとする面があったからだといわれている。幼い頃は力で及ばなければしぶしぶながらも従っていたが大人になり、力でソリューアントを抑えるものがいなくなったときにどうなるかを不安視していた部分もあった。

ソマーズ王として

統一暦341年。エストにより、ポストマーズが三国に分けられると、その意に従い三国のひとつソマーズの国王になる。ソマーズは西の蛮族に対する要となる国であり、その役目と自身の才を活かすために強力な騎士団を作り上げる。
この騎士団に対しての評価は高く、実際に西の蛮族の侵攻に対して幾度も成果を挙げている。ソリューアントが考案したのは重部隊、軽部隊、弓部隊、馬部隊というように役割ごとに中隊をつくり、状況に応じて中隊を組み合わせて大隊を作るという方式だった。この方式は後のソマーズ軍の基本的な方針として伝わっており、幻獣将軍の制度はこの仕組みの発展形を目指したものである。
騎士団を作り上げたその手腕は見事であったがそれが王としての素質と結びついていたかは疑問が残るところである。このときのポストマーズには王として、年老いていたとはいえエストが君臨していた。そのため、ソマーズ、トマーズ、ロマーズの役割が明確であり、例えば、知識面ではロマーズが、経済的な面ではトマーズの援助がスムーズに受けられたことによりソマーズが成り立っていた面もあった。もちろん、そのことは他の二国にも同じことがいえることである。
そのことをソリューアントは理解してはいたが、必ずしも納得してはいなかった。

エストの死後

統一暦353年、エストが死去するとソリューアントは長男としてその後を継ぐことを宣言する。ロアード、トリアルトも当初はそのことに反対を唱えることはなかった。二人はソリューアントがエストの代わりに三国を見守る立場につくと考えたのだった。しかし、ソリューアントは二人の期待に反して、三国をひとつにまとめ自身を中心とした国を作ろうとする。これに真っ先に反対したのがロアドだった。これに対してソリューアントはソマーズの軍事力を持って自体の収拾を図ったが、ロアドの巧みな戦術の前にロマーズを攻め入ることが出来なかった。更にトリアルトも表立って反対はしなかったがソリューアントの意向には従わなかった。このため、この戦いは長期化し、ポストマーズの内乱が延々と続くことになる。
弟達との長い内乱の後、ソリューアントは何も得ることが出来ずにこの世を去ることになる。ソリューアントは長兄でありながら三人の兄弟の中で一番最後まで生き残っており、晩年、それだけが弟達に勝った唯一の事だと言い残している。


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