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マゥオ・ラムア

[マゥオ・ラムア]

統一暦275〜353年
ポストマーズ建国王エスト・スファイアの腹心として知られている。

生い立ち

エストと共に詳細な生い立ちは不明であるが、エストの親とマゥオの親が、古くからの知り合いで、二人は幼い頃から兄弟のように育てられたという。生まれた年には異説もあり、エストとより2、3歳若い、又は歳を取っているといわれることもあるが、マゥオ自身はエストと共に生まれ、共に育ったと言っている。
その後、北を目指したエストと共に行動し、ポストマーズ建国の助けをしている。

写す力

腹心としてその名を残し、エストの行動の際には常にその姿を現していたといわれるが、実際に何をしていたのかは謎に包まれている。多くの場合、活躍しているのが、エスト自身であるとされているが、実際に準備をして舞台を整えていたのは、マゥオであったとする説が有力である。
もうひとつの説がもうひとりのエストとして活動していたという説である。マゥオが得意としていたのは、影写しと呼ばれた対象者の能力を真似る力であるといわれている。マゥオの影写しの能力は秀でており、技量だけではなく、姿かたち、性格までも、真似ることが出来たとされる。
この能力を使ってエストの代役をしており、エストが行った行動の半分はマゥオが行ったとする者もいる。
マゥオ自身は影写しの能力を使いすぎると自分が何者か分からなくなってしまうことがあると冗談みたいな発言を残している。

エストの死

ポストマーズを三国に分け、王子たちに任せようとする際にも表立って発言をしていない。黙々と従っていたようである。エストが自身の死後を考えた際、三人の王子の中には王を継ぐ者がいないと不安になり、マゥオに次期国王を打診したこともあったという。マゥオは高齢であることと、それによる混乱が起きることを心配し、それを断っている。ただ、国を見守ることだけは約束した。
しかし、エストの死後すぐにマゥオは病に倒れ亡くなってしまう。高齢であったマゥオが死去したことは、ごく自然に受け止められたが、時期的な問題もあり、国王の座を狙われることを恐れた王子たちによって暗殺されたのではないかという憶測も一部にはあったようである。
結果的には、エストと共に生まれ、エストと共に行動し、エストと共に死去したという生き方を送った者としてその名を残している。

関連年表

統一暦275年:マゥオ・ラムア、生誕。
統一暦353年:マゥオ・ラムア、死去。


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