クタリアウス・スファイア
[クタリアウス・スファイア]
統一暦875〜923年ポストマーズのロマーズの国王。
生い立ち
ロマーズ国王ファーツ・スファイアの第1王子として生まれる。弟で第2王子であったアビヘルド・スファイアとは幼少の頃から仲が良かったとされる。幼い頃からクタリアウスは活発で剣術に秀でており、多くの者が認める王としての素質を持ち合わせていたとされる。静の王子と呼ばれることもあったもの静かでおとなしかった弟であるアビヘルドとは対照的で動の王子と呼ばれることもあったという。
周囲の期待に応えるようにクタリアウスは順当に王となる。
王として
非凡な才能を持っていたクタリアウスはそれに相応しい野心も持っていた。ポストマーズ統一を成し遂げることがその野心であった。そのために、他国への侵略を度々図っていた。しかし、それは、クタリアウスの片腕として働いていたアビヘルドによって諌められていた。アビヘルドは主に内政面を担当していて、その立場から説得していたという。この当時、十二魔法士の半数以上が侵略を支持する強硬派であったことから、クタリアウスの決断によっては、強引に侵略をすることもできたが、クタリアウスはそれを是としなかった。熱心にアビヘルドの考えを聞くと、そこに理があると分かると決して我を通すことはしなかった。クタリアウスは、少なくとも公式的には、その結論にひとつの不満も残していない。それはアビヘルドに対する絶対的な信頼感から来る物であったとされる。
この二人の体制でロマーズはしばらく安定し続けていくと思われていた。
突然の死
統一暦923年、クタリアウスは突然病に倒れ、あっけなく息を引き取ってしまう。この突然の死が与えた影響は大きく、アビヘルドが王となり、それがきっかけで王殺しの事件、大陸戦争へと続くことになる。そのため、大陸戦争の遠因のひとつであるとも言われている。もし仮に、クタリアウスが生きていれば、大陸戦争は起こりえなかったのではないかと想像する歴史家も少なくは無い。
関連年表
統一暦875年:クタリアウス・スファイア、生誕。統一暦923年:クタリアウス・スファイア、死去。
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