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ダーク・スカイ

[ダーク・スカイ]

統一暦982?〜1055年?
大陸戦争の時に、ヒコ・アイデントと共に活躍した二十信徒のひとり。

生い立ち

公式の資料では、シュイ国の金持ちの子供として生まれ、何不自由なく恵まれて育ったとある。高い教育を受け育てられ、いずれは国の中枢で働くことを期待される。しかし、世界各地で戦乱が起きている中、自分の国だけを考えていてもいいのかと思い、世界の役に立つために、英雄と呼ばれていたヒコの手伝いをしたいと考える。
両親には、ひどく反対されたが、後ろ髪を引かれる思いで、国を飛び出す。ヒコの元にたどり着き、その情熱を認められ、その仲間となる。
しかし、この資料を裏付ける物が、後年何一つ発見されていないことが分かる。そのため、この資料が本当の物なのかは定かではない。シュイ国にいた親に迷惑をかけないために偽名を使っていたためではないかと比較的好意的に受け止められることもあるが、後年、ダークに関する様々な疑惑がわきあがってくると、何か身元を隠さなければいけないやましいことがあったのではないかと考える者が多い。

異なる印象

二十信徒としては、表立ってはヒコの広報官を名乗っていた。表舞台に姿を現さないヒコの代弁者として、姿を現していた。民衆はその言葉を喜び、ヒコも、他の二十信徒も、少々、大げさなところがあるとはしたが、特に非難めいたことを口にしていない。
個々の二十信徒も、積極的に表に出る者もいなかったことで、二十信徒の中でも最も知られていて、慕われていた者である。生真面目で、少しひ弱で、少しおしゃべりというのが、ダークを見る民衆の印象であった。
この印象と異なる印象を持つのが、敵対した者である。戦乱においては、ひ弱さの欠片も見せることは無かった。時に、残虐とも思える手段を用いることがあったとされている。
中でも大陸戦争の終端期に行われた出来事は非道と言われることもあった。平和な世界へと向かっている時代の流れの中で、その流れに逆行し、反乱を起こしたレイテテ・エネに対して、徹底した粛清を行っている。実際には小規模の反乱であったが、それをあたかも大規模の反乱のように見せ、レイテテを大悪人に仕立てると、圧倒的兵力を用いて、虐殺に近い形で粛清している。
ただし、こういった出来事が明らかになったのは、大陸戦争が終結後に、大陸戦争の研究が行われるようになってからである。

見せない正体

ダークに関しては、後に明らかになることが多く、多くの者が知っているはずの者ではあったがその正体は明らかになればなるほど謎を帯びている。
その死も謎に包まれていて、事故で死亡したことになっているが、その事故のことも記録に残されていない。そのため、非道なダークに対してヒコが厳罰を処したという話や、実は生きていたのではないかという者もいる。
二十信徒の研究を続けていた、フーラモサ・クロは、ダークが魔の者ではなかったという仮説を唱えている。フーラモサは23体の魔の者と敵対していたと言われていた舞の瑠璃がその正体だとしている。

関連年表

統一暦982年:ダーク・スカイ、生誕とされている年。
統一暦982年:ダーク・スカイ、死去とされている年。


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