サリアリアス皇国
[サリアリアスコウコク]
統一暦201年に成立した皇国。最盛時にはスーアリウ大陸のほぼ全土とゼアノスタ大陸の半分を支配下においており東方の覇国と呼ばれていた。
アストインバーグの独立をきっかけとして、各地で反乱が起き、大陸戦争の最中アストインバーグによって滅ぼされてしまう。
成立
イマ・カ・ミラにより統一暦201年に建国された。当初はスーアリウ大陸のごく一部を支配している小国に過ぎなかった。サリアリアス皇国が注目を浴びるようになったのは230年頃からである。乱立した同様の小国をいくつも打ち倒し勝ち残るようになった頃である。
イマは打ち倒した国をそのまま統合するのではなく、自分の子供をその国の王と婚姻関係を結ばせたり、養子にさせることで血縁関係を作り、結びつきが強くなったときに初めて吸収合併するという形を取った。
イマの死後もこの方法で徐々にサリアリアス皇国は大きくなり、統一暦500年頃にはスーアリウ大陸のほぼ全土、統一暦900年頃にはゼアノスタ大陸の半分を支配下に置き、東方の覇国と称されるに至った。
血の結束
イマが血縁関係に拘ったのは建国に至るまでの様々な裏切りにあったという。この中で唯一信じられるのは血縁関係の結びつきだけであると思い知ったイマは身内を優遇し、有能な者に対しては血縁関係を結びつけた。このことが外交交渉にも活かされていたのだった。そして、すべては本家の血筋である自分の直系のために働くべきだと徹底した階級を作り上げた。この結びつきがサリアリアス皇国を強国へと育てていった。綻び
血の結びつきにより大国となっていったサリアリアス皇国であったが徐々にその効力が薄れていった。原因のひとつは血の結びつきの複雑さである。複雑になればなるほど、血筋による恩恵が受けられなくなり、そのことが国に対しての不満へと繋がっていく。それに加えた起こったのが、ミノオ・ナツカによる反乱である。統一暦905年、血筋により全てのことが決められることに納得がいかなかった第五分家ゼジオリの流れを汲むミノオ・ナツカが反旗を翻し、アストインバーグを建国する。
不平を持っていた一部の者達がこれに参加し、一大勢力となる。ゼジオリという比較的皇帝に近い血筋で起こった反乱の影響は大きくこれをきっかけとして、サリアリアス皇国はその力を失っていく。
更にアストインバーグの侵略に触発され各地で独立運動が盛んになったことも追い討ちをかける。
大陸戦争が始まった頃にはその力をほぼ失い、統一暦980年頃には完全に消滅した。
関連年表
統一暦201年:サリアリアス皇国、イマ・カ・ミラにより建国。統一暦500年頃:サリアリアス皇国、スーアリウ大陸のほぼ全土を支配。
統一暦900年頃:サリアリアス皇国、ゼアノスタ大陸の半分を支配。
統一暦905年:アストインバーグ、ミノオ・ナツカにより建国。
統一暦980年頃:サリアリアス皇国、完全に消滅。
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