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レヌアト・エザ

[レヌアト・エザ]

統一暦881〜952年
アストインバーグの将軍。

生い立ち

サリアリアス皇国で貧しい農民の子供として生まれる。体が大きく腕っ節が強いために後に立派な戦士になるのではないかと思われていた。成長するに従い、周囲の期待に応えるように更に立派に育っていったという。
成人したレヌアトはその期待に応えるように戦士となる。戦士となったレヌアトは自分の活躍で貧しさを脱出することができるのではと考え、必死に戦い戦果を上げた。しかし、サリアリアス皇国では、農民上がりのレヌアトがいくら戦果を上げても認められることはなかったという。

反乱への参加

ある種の諦めを感じ始めた統一暦905年、24歳の時にミノオ・ナツカがアストインバーグを建国し、サリアリアス皇国に反旗を翻したことを知る。ミノオは家柄や血筋ではなく本人の実力のみで評価すると宣言し、レヌアトはその言葉に引かれて、アストインバーグの兵士となることを決める。アストインバーグの兵士となったレヌアトは、それまで以上の活躍を見せ、たちどころに昇進していった。ミノオの言葉に嘘が無かったことを身を持ってしったレヌアトは更にはりきって活躍し、やがて将軍と呼ばれる地位まで上り詰めた。

将軍として

将軍となったレヌアトは、自ら模範となるように自軍の先頭に立って戦ったという、それは自分には学がなく、言葉で兵士を導くことが出来なかったためであったとも言われている。そのため、常に傷だらけであったとも言われている。レヌアト自身は別に褒められたことではないと語っているが、この傷だらけの将軍に兵士達は好意的であったという。
このことを伝え聞いたミノオは、レヌアトの貢献を高く評価したという。ちなみに、この時にミノオから賜った屋敷が、後にエザの惜別の舞台となっている。
年老いて将軍職を退くと、自身の活躍を孫のカタ・エザに自慢げに語ることを余生の楽しみにしていたという。

関連年表

統一暦881年:レヌアト・エザ、生誕。
統一暦905年:アストインバーグ建国。
統一暦952年:レヌアト・エザ、死去。


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