ゼオ・ラシニ
[ゼオ・ラシニ]
統一暦452年〜527年創世神話のひとつである三人の王の物語の存在を否定したガスティン派論を唱えた歴史学者。
生い立ち
両親が農民の家に生まれた。子供には勉強が出来て、将来的には学者か役人になって欲しいという願いから厳しい教育環境で育った。この頃、後に生涯を通じて仲の悪かったウェーニ・ピエトラと出会っている。
勉強は比較的できる方であり、苦労はしていたが、それに見合う成績を残していたという。将来的には学者になりたいと考えるようになり、両親も心からそれを喜んだといわれる。
分岐点
ゼオは学者になることを決めたが、何を研究するのかに関しては相当悩んだようである。候補はふたつあり、ひとつは魔法で、もうひとつは歴史であった。本心としては魔法を研究したかったようである。しかし、魔法を研究するには、魔法の素養があるか、知り合いに著名な魔法士がいるか、莫大な資金があるか、のいずれかが必要であったが、ゼオにはそのいずれの条件を満たすことができなかったため、歴史学者となることに決めた。特に魔法との関わりをあきらめられなかったゼオは魔法に関する歴史の研究に没頭することになる。ウェーニとの仲
ゼオを語る上で欠かせないのが、ウェーニとの仲の悪さである。この二人が仲が悪かった理由について、ゼオは明確な記録を残していないが、研究対象を選ぶ際に確執があったことが原因だとも言われている。二人の仲の悪さはビゲの決闘という根拠が乏しい逸話にも残されている。
ガスティン派論の発表
魔法と歴史の研究の中でゼオは魔法の根源が全て神話に繋がるという見解に疑問を抱くようになる。歴史において、広く語られているべき物が全て事実だと考えるのではなく、一端否定することで出てくる整合性や矛盾点を挙げることで真実を見極めることが出来るのではないかと考えた。その中で考えたのがガスティン派論である。歴史の大元となる創世神話を一端否定することで事実を見極めるということを考えたのだった。
そのため、自分が唱えた学説でありながら、ゼオがガスティン派論で唱えたことが必ずしも当たっているとは思っていなかった。むしろ、反論されることで真実が出てくることを期待していた。しかし、ゼオの予想外だったのは、この説に真っ向から反対したのが、仲の悪いウェーニであったことである。
このため、ゼオも意地で反論せざるを得なくなり、ゼオが本来考えていた目論見は崩れ去ってしまった。
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