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ウェーニ・ピエトラ

[ウェーニ・ピエトラ]

統一暦453年〜526年
歴史学者。三人の王の物語が実在したものとするアラト論を提唱した人物。
記録に残されている物事はすべて存在していたものであるという思想の持ち主であり、地道にその証拠を積み上げていくことでそれを証明していた。
ガスティン派論を唱えたゼオ・ラシニとは幼少の頃から仲が悪く、アラト論はゼオに対抗して発表された物であった。
統一暦1500年ごろの懐古主義的な歴史評価でアラト論が見直されるとウェーニ自身の評価も高まることになる。

生い立ち

両親が共に歴史学者の家に生まれたウェーニは幼い頃から将来学者になることを期待されて育てられた。目立った幼少時代を過ごすことはなかったが一定以上の教育を受けていたウェーニは両親の期待を裏切らずに学者への道をたどることになる。
その過程で生涯を通じて仲の悪かったゼオと出会うことになる。

学者として

成人し学者となったウェーニは各地に伝わる伝説や神話に興味を抱くようになり、各地に赴きそこに伝わる伝説や神話の収拾と背景を研究するようになる。
その中でどの伝説や神話にもそれできる背景が存在し合理的な説明が出来るという確信にたどりつく。
これらの経験から記録に残されている物事はすべて存在していたものであるという思想に到達する。そして、その証拠を積み上げていくことでそれを証明していった。

仲の悪い二人

ゼオとの仲の悪さは有名であった。
二人の出会いは幼少の頃であったが始めてあったその時から気に食わない奴であったとウェーニは記録を残している。
この当時の事を知る人の中にはそんなに仲が悪かった印象は持っていないといっている人もいる。ごく普通の友達同士という印象が強かったという。
二人の仲が誰の目にも明らかになるほど悪くなったのは二人が共に学者になってからだという。二人の学者としての実績よりもその仲の悪さの方が有名であった。その頃の仲の悪さを現すエピソードとしてはビゲの決闘というものが逸話として残っている。ただし、この話には根拠とするものが乏しく、後にウェーニとゼオとが互いに評価されるようになった後に面白がって創作されたものだとも言われている。

アラト論の発表

ゼオのガスティン派論に対して発表されたアラト論では当初その論理の展開の仕方があまりにも子供じみていたために評価されることがなかった。統一暦1500年ごろの懐古主義的な歴史評価でアラト論発表後の三人の王の物語が存在するとした根拠の積み重ねが明らかになるとアラト論と共にウェーニ自身の評価も高まることになる。


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