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クノトー・スファイア

[クノトー・スファイア]

統一暦586〜651年
ポストマーズロマーズの王。コーアイラの反乱によって城を奪われた王で、白竜の剣の話で知られている。

生い立ち

後に城を奪われた王として名前を残してしまったために、クノトーの評価は著しく下げられてしまっている。それは、幼少の頃の評価も同じで、誕生した時には後に王になる者として期待を集めていたはずなのであるが、記録に残されているのはいかに凡人であったかを示すようなものばかりである。飛びぬけた才能があるわけでも、大きく劣る部分があったわけでもないと記されている。そして、何の波乱もなく王となっている。

城を奪われた王

事実として王としてのクノトーは、その当時の王と比べて少し野心的な王であった。ポストマーズの主権を握りたいとも考えていた。そのため、ソマーズとの軍事同盟を極秘に結ぶことを計画した。この同盟には、内外で反対する者が多かったために、だいぶ苦労したようであったが、それをまとめあげ、実現可能直前まで行ったといわれる。仮にこれがまとまれば、良くも悪くも一定の評価を得ていたはずである。しかし、その同盟は、予想もしていない出来事の影響で結ばれることはなかった。
その出来事がコーアイラの反乱である。交渉のため、城を留守にしていた時に、コーアイラの反乱が置き、コーアイラ・バーサに城を奪われることになってしまう。この時、クノトー城を奪われても、王の証である白竜の剣を持つ自分が王であることを宣言したことで事態を一気に収拾へと導いたという。
仮にこのコーアイラの反乱が、同盟に反対する者や十二魔法士が計画していたものであったならば、クノトーは事前にそれを抑えることが出来たという自負があったが、一兵卒の思いつきによる行動であったため、事前に予期することができなかった
クノトーは事実を知ると、ただ苦笑いするだけであったという。
この出来事をきっかけにクノトーの評価は下がる一方になった。それを打破するために、白竜の剣の話を大々的に宣伝したというが、その当時、クノトーの評価が上がることはなかったという。ただし、そのために白竜の剣の話は後々まで残されることになる。

関連年表

統一暦586年:クノトー・スファイア、生誕。
統一暦628年:コーアイラの反乱。
統一暦651年:クノトー・スファイア、死去。


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