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シンシ・サイサイド

[シンシ・サイサイド]

統一暦1225〜1289年
事件解決を生業とした賞金稼ぎ。

生い立ち

両親は、農民で真面目な者達であることが知られている。シンシもその両親の事を幼少の頃から尊敬しており、大事に思っている。しかし、自分が同じように真面目に働くことは何となく無理であろうことも理解していた。根気が続かなく飽きっぽい性格であったシンシは、両親の後を継ぐなんて気持ちは全くなかった。
このことに関して、母親は小言で真面目に働くように説教していたが、父親は無口で何も言わなかった。
成人して街に出ると、シンシは賞金稼ぎという職業があることを知り、それに興味を持った。
そして、単純に高額な賞金だからという理由で、ミサホサの事件の犯人を追うことになる。しかし、犯人までたどり着くことは出来たが、若かったシンシは犯人と対峙しても何も出来なかった。そこを救ったのが、同じく賞金稼ぎで、後々まで師と崇めることになったヒシ・ローダであった。
結局、ヒシによって事件は解決したが、難解と思われた犯人のところまでたどり着けたことをヒシは評価し、共に賞金稼ぎとして協力することになる。

秀でた勘

シンシが優れていたのは、勘と呼ばれる部分である。聞き込みなどで情報を得るだけで、何となく犯人の居場所や事件の真相が分かってしまうのだという。
この勘の凄いところは、必ずしもそれが正解ではなくても、事件を解決に導くきっかけとなるところであった。
ヒシは、論理的に物事を積み上げて事件を解決するのが、プロの仕事であると考えていたが、その考えがシンシに出会ったことで自信がもてなくなることがあると後に答えている。二人の活躍は、賞金稼ぎとして、世に知れ渡ることになる。後にその名声が残っている物としては、七界の魔女事件などが上げられている。
しかし、シンシの母親はその評判を耳にしても、相手にせずに、真っ当に働くべきだと愚痴をこぼしていたとされる。

残らない金

稼いだ金をすぐに使ってしまうことでも知られていて、有名な賞金稼ぎの割にはお金に不自由していたようである。その点もヒシとは違っていた。ヒシは稼いだお金は必要な分以外はしっかりと貯金していたようである。
そのため、金になると思えばどんな事件にでも首を突っ込んだ。この点もヒシとは違っていて、ヒシは自分が解決するに相応しい事件かを考えてから行動する方であった。
ただ、両者とも互いのことは気になるようで、自分に関わりが無くても相手が困っていると黙って手助けをすることも少なくなかったという。

関連年表

統一暦1225年:シンシ・サイサイド、生誕。
統一暦1262〜63年:七界の魔女事件。
統一暦1289年:シンシ・サイサイド、死去。


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