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ヌマアイ・フトウ

[ヌマアイ・フトウ]

統一暦612〜652年
ゴレッシブの最後の王。

生い立ち

ゴレッシブの王ハヒア・フトウの第1王子として生を受けている。ハヒアが臆病者で人気がなかったためか、ヌマアイに期待する者は多かったという。ハヒア自身もすぐにでも王位を譲りたいと考えていた。
周囲の期待に応えるように、賢く逞しく育っていったという。そのためか、多少自意識が強い印象を与えたが、王となるべき資質として問題視されることはなかったという。
統一暦632年、ヌマアイが20歳になると、ハヒアはさっさと王位を譲ってしまう。この王位の譲渡に関してだけが、唯一、ハヒアが周囲から評価された点でもあった。

王として

王となったヌマアイはゴレッシブが他国から低く見られていることに反発して、対等の立場になろうとする。そのために領土拡大の機会を狙うようになる。
賢君であったヌマアイはすぐに領土拡大を図り、それで成功することはないと考えていたが、いずれは領土を拡大するための侵攻をするためにと、様々な改革をして国力を蓄えていく。その姿勢にゴレッシブの国民も応えようとしたという。こうして、国内の整備が整った統一暦642年、ヌマアイは他国と同等の立場となるために、隣国であるシャーシロゴブドウに侵攻を始める。それまでの平穏な時間でゴレッシブに対して無警戒であった両国は甚大な被害を受けてしまう。そして、危機感を露にする。緒戦を勝利したゴレッシブは勢いにのり戦いを進めようとするが、本気になったシャーシロ、ゴブドウを相手に苦戦を強いられるようになる。それでも初戦を勝ったことで、また勝てると思い込んでいたヌマアイはそれを恐れることはなく、戦いは長期間続いていく。多くの国民がその勇敢さを支持したが、小国であるゴレッシブは戦いを維持できなくなり、統一暦652年、逆にシャーシロからの侵攻を受けて、ヌマアイは死亡し、そのまま滅んでしまうことになる。

関連年表

統一暦612年:ヌマアイ・フトウ、生誕。
統一暦632年:ヌマアイ・フトウ、ゴレッシブの王となる。
統一暦652年:ヌマアイ・フトウ、死去。


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