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ハヒア・フトウ

[ハヒア・フトウ]

統一暦582〜647年
ゴレッシブの王。臆病者といわれ続けた王。

生い立ち

ゴレッシブの王デヒクラ・フトウの第1王子として生を受けている。次代の王として期待を集められて育てられていくが、生まれ着いての臆病な性格があり、周囲を落胆させる。馬に乗るのが怖い、暗闇が怖い、ひとりになるのが怖いなど、ありとあらゆることに恐怖を感じていたようである。
成長するに従い、過度な怖がりは一旦落ち着きを見せるが、それでも、何かの拍子に臆病な性格が表に出ることがあったという。結局、この性格は生涯に渡って変わることはなかった。

臆病者の王

デヒクラの突然の死によって、統一暦609年27歳でハヒアは王となる。周囲は不安だらけであったが、王としての責務は普通にこなしていた。しかし、臆病な性格は直ることはなく、王となったことで命を狙われるのではないかと思うようになる。
特に魔法による攻撃を恐れ、いつ狙われるかわからないという理由で、常にゲツハ陣を作りその中で生活していたという。このことは周囲の国にも伝わり、臆病者の王として名前が知れ渡ることになる。統一暦632年、息子であるヌマアイ・フトウが成人すると早々に王位を譲って引退してしまう。これで命を狙われる危険性が僅かでも低くなると安堵していたそうである。
その性格ゆえに、ハヒアは民から尊敬されることはなかったが、ハヒアが王であった期間、小さな戦乱がいくつかある程度で、基本的には平穏な日々が続いたという事実もある。これは、ハヒアが臆病すぎて他国がゴレッシブを相手にしていたなかったことも関係している。逆にハヒアの息子であり勇敢さで知られたヌマアイは、広く民に好かれ人気を博していたが、その勇敢さが仇となり国を滅ぼすことになってしまう。
しかし、それでもハヒアは後々まで臆病者の王として民の支持を集めることはなく、ヌマアイの方が勇敢に戦った王として語り継がれる結果になっている。

関連年表

統一暦582年:ハヒア・フトウ、生誕。
統一暦609年:ハヒア・フトウ、ゴレッシブの王となる。
統一暦632年:ハヒア・フトウ、ゴレッシブの王位を息子ヌマアイ・フトウに譲る。
統一暦647年:ハヒア・フトウ、死去。


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