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ナルフーラ

[ナルフーラ]

オウティパクで開催される闘技会で勝った証となる称号。

称号を巡る戦い

世界一の剣豪を自称したナルフーラ・ニニが自身が敗れた相手にその名前を譲ったのがその最初だと言われている。以来、勝った者がその名を譲り受けるようになっていく。
このナルフーラの称号を巡る戦いは、すぐに話題になり、腕に覚えのある者が次々と関わってくるようになる。しかし、挑戦者の数が増えるに従い、それを管理することが必要となってくると、オウティパクがその役割を担うようになる。
当初は、挑戦者からの戦いの申し込みを断る事は出来ないというだけの単純な規則だけであったが、挑戦者の数が増えるに従い、称号を持つ者の負担が増えてしまい、単純な強さの選定にならないのではないかと疑問視されるようになる。
統一暦700年頃になると、最初の制度が出来上がるようになる。そのために行われたのが挑戦者の力量を測ることであった。挑戦権を得るためには、オウティパクの兵士と戦い勝つことが必要となる。
統一暦800年頃になり、更に挑戦者の数が増えるようになると兵士の負担が大きくなり、挑戦者同士で戦わせて、その勝者が挑戦権を得るようになる。挑戦者の数が多い場合には幾度も戦う必要が出てくる。この方式が発展して挑戦者を決めるトーナメント方式の闘技会が開催されるようになる。
統一暦900年頃になると、このトーナメント方式が定着し、年に一度、闘技会が開かれその優勝者が挑戦権を得るようになる。
統一暦1000年頃には、このトーナメントにナルフーラの称号を持つ者も参加することになる。大陸戦争の時代であったこの頃に行われていたトーナメントが最も盛んであったと言われる。
大陸戦争が終焉するに従い、ナルフーラを巡る闘技会も一時期ほどの賑わいを見せなくなってくるが、以後はこの形式に準じて行われている。

時代と共に

トーナメント方式が定着する統一暦900年ぐらいまでには、命を問わない戦いが繰り広げられていた。しかし、トーナメント方式が定着してくると力試しの様相を呈してくる。そのために、本来の最強の者を決めるという意味合いが薄れていき、名前がまだ知られていない者たちがその名を売るための戦いであり、真に実力がある者はあまり参加しなかったとも言われている。

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