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ケスリス・ジョイヌ

[ケスリス・ジョイヌ]

統一暦1207〜1284年
作詞、作曲家。歌曲「七界の君」を作りあげた者。

生い立ち

芸術面・文化面が少しずつ発展しようとしていた時期に生まれる。父親が芸術に興味を持っていたが、自分には叶わない夢を子供に見ることで満足しようと、ケスリスには幼少の頃から、家庭教師をつけていた。絵画や文学、音楽などさまざまな事を学ばせたが、最も興味を示したのが音楽であったという。ただし、飛びぬけて才能があるという訳でもなく、その点は父親をがっかりとさせた。
成長するに従い、音楽に対する才能がないと思うようになったケスリスであったが、音楽の道をあきらめることは出来ずに、どうにか音楽家への道を歩むことになる。

才能の芽生え

この当時、音楽家になるには大御所といわれる著名な音楽家の下で修行をしてから独立するというのが主流であった。しかし、才能を認められなかったケスリスは独学で勉強するしかなかった。このことがケスリスの特徴となる。ケスリスは自分の中にあった想像力を膨らまして音楽を作ることで、それまでは違った音楽を作り出していく。
その中にあったのが、後にケスリスを代表する歌曲となる、七界の君である。まだ見ぬ絶世の美女に対しての思いが綴られた歌であり、この時代を反映した曲として語り継がれていく。七界の君の発表を境にして、一気にケスリスの名前は有名になる。
それまで、音楽家としての成功をあきらめていた父親も心の底から喜んだと言われている。その後、いくつも曲を発表し、それぞれ高い評価を受けるようになる。
しかし、七界の魔女事件が起きると、その結末を知り、ひどく落胆し音楽家としての活動を止めてしまう。周囲の説得にも応じなかったが、晩年、一曲だけ作曲したと言われている。その曲は題名も付けられていない曲であったが、楽譜の端に七界の君へと書かれていた。研究者の中には、ケスリスが理想とした女性と晩年であったのではないかと言われることもあるが、それが誰なのかは明らかにされていない。

関連年表

統一暦1207年:ケスリス・ジョイヌ、生誕。
統一暦1284年:ケスリス・ジョイヌ、死去。


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