モーユン・ラヴァ
[モーユン・ラヴァ]
統一暦1901〜1957年ラヴァ商会の3代目。ゴルディ・ラヴァの父親としても知られている。
生い立ち
ラヴァ商会の3代目として生まれる。2代目である父ザクリト・ラヴァはとにかく厳しい人物であったという。モーユンは子供時代に褒められた事は一度も無く常に怒られていたという。時として理不尽な事で怒られる事も多々あったともいう。モーユンは後にこの頃の事をただひたすら怖かったと語っている。ただ、大人になった後では、ザクリトが怒る事で、周囲の者がモーユンに対して、優しく接していてくれた事があり、ザクリトはそこまで考えていたのかもしれないと語っている。3代目として
成人して仕事を任されるようになると、仕事に関してはザクリトは一切何も言う事は無かったという。失敗しても、成功してもモーユンの責任においてすべてが任された。この時に、モーユンは自分が厳しく育てられた経験が活きたと感じる事になる。ザクリトが引退し、すべてを任されるとラヴァ商会を拡大させるために、昼夜を問わずに働いたという。
父として
24歳の時に、ピウォ・ラヴァと結婚し、子であるゴルディを成すが、その世話を誰に任すかで悩んだという。忙しい事もあったが、可愛い我が子を溺愛して、我侭な子供に育ってしまうのではないかと不安になり、かといって厳格な父親のような態度を振舞う自信もなかった。そして、頼ったのが、引退したザクリトであった。しかし、モーユンのこの考えは失敗に終わる。モーユンの考えていた事に反して、ザクリトはゴルディには甘く、モーユンが知る父の姿ではなかったのであった。これに困ったモーユンであったが、自分で頼った手前強く出ることは出来ず、たまに嫌味をいう程度であった。当のザクリトはそんな嫌味は全く気にする事はなかった。
結果、ゴルディはおおらかで優しく少し我侭な性格で育つ事になる。
それでも、ゴルディは商売に関してはそれなりの才覚を持っていたようで、成人して4代目となるべく働き始めると、その姿を見てモーユンもいくらかは安心したようである。
しかし、すべてが安心というわけではなく、時折、甘い判断をする事があり、それはモーユンを苛立たせたという。特に、モーユンが気にしたのが、サラモドに対する資金援助である。モーユンはこれに反対するが、思いがけずザクリトがゴルディを庇った為にしぶしぶ諦めたという。ただ、嫌味だけは欠かさないようにしていたようである。
統一暦1957年、突然、事故に巻き込まれて命を落としてしまう事になる。その後、ザクリトが病で亡くなった事もあり、ラヴァ商会は危機に巻き込まれる。
しかし、これにゴルディは対処することが出来ず、結局、全財産を失う事になってしまう。皮肉にも自身の死によって懸念が現実のものになってしまう事になる。
関連年表
統一暦1901年:モーユン・ラヴァ、生誕。統一暦1957年:モーユン・ラヴァ、死去。
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