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ヨシ・ラパダ

[ヨシ・ラパダ]

統一暦1756〜1822年
リズイエルの属国であったイロリルの王。王権を手放しイロリルを民主化させた者としても知られている。

生い立ち

イロリルの王、サト・ラパダの子として生を受ける。生まれながらに王になる事を決められていた者である。ただし、イロリルという国の事情から帝王学というような物を学んでいたわけではなかったという。リズイエルの属国であったイロリルでは、王はリズイエルとの関係を保つためだけに存在していたためである。
しかし、真面目な性格であったヨシは熱心に学問を学び、あるべき王の姿を夢見ていたようである。

王として

成人して、しばらくすると、サトが王の地位を譲ることになる。王となって初めてイロリルの問題点に気がつく。元々、イロリルは農業を主体とした牧歌的な国で、その王は象徴的な存在に過ぎなかった。しかし、リズイエルの属国となった事で、体制を維持させるためにラパダ家が王家として定められると、自分達に権力があると勘違いするようになっていった。これにより、国民の不満が高くなっていたのである。
若いヨシは国を立て直すべきだと考え、様々な改革を施そうとするが、それを妨げたのが父である先王サトであった。サトは改革により、余計な混乱が生まれるだけだと主張した。しかし、改革をしなければ足元から国が滅びていく事になりかねないと考えていたが、サトに対して強く出る事が出来ずに改革は行えなかった。そんな中、統一暦1802年、王兄の事件とそれを発端にしたリズイエル大乱が起きる。この戦いの影響により、国民の不満は一気に爆発した。
ヨシはこれをいい機会と見て、王権を手放すことを即決する。この素早い判断に、サトもこれを防ぐ事が出来なかった。これをきっかけにして、イロリルは民主化へと一気に移行していく事になる。この際に、ヨシの態度と、それ以前のラパダ家の歴史もあり、権限はなくなったが王制そのものは残される事になった。

関連年表

統一暦1756年:ヨシ・ラパダ、生誕。
統一暦1802年:ヨシ・ラパダ、王権を手放す。
統一暦1822年:ヨシ・ラパダ、死去。


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