モムバーニ・ケト
[モムバーニ・ケト]
統一暦555〜621年統一暦600年頃、セントサリアを仕切っていた者。トルバーセ、ウフコスとの外交交渉でも知られている。
生い立ち
セントサリアの多くの者が、そうであるように商人の子として生まれている。モムバーニは、それほど儲かっていなかったが、取り立てて貧しかったわけでもなく、中の下というところだったと後に語っている。商売上手で無かった理由のひとつが、両親が共に情に厚かったからだったと言われている。取引先などで困っている者がいると、助けるために料金を割り引いたり、多少高めに買ったりしていたという。そんな姿を見ていたモムバーニは、自分を犠牲にしてまで他者の役に立つことが意味があるのかを考えるようになっていくが、そういう生き方をしていた両親に対しては尊敬の念を抱いていたようである。
商売の才能
モムバーニは成人すると両親の跡を継ぎ、商売を始める。これが事のほか上手くいく事になる。モムバーニは自分に商売の才能があるのだと、積極的に多分野に興味を示すが、最初の内はよくてもすぐに失敗するという事を繰り返してしまう。最初の成功は何だったのかと考えたモムバーニはそこである事に気がつく。最初の取引の際に、たびたび、モムバーニの両親にお世話になったという言葉をかけられていたのだった。苦しい生活を送りながら他者の面倒を見ていたモムバーニの両親の事を知っていて、その恩返しに子供であるモムバーニに便宜を図ってくれていた事にモムバーニは気がついた。そこで、モムバーニは商売の才能があったのは自分ではなく、両親であった事を知ったのだった。そして、更に両親を尊敬するようになったモムバーニは、かつての両親のように商売を続けるようになる。それによって苦しい時期があったが、周囲に認められるようになると商売が軌道に乗り始める。それを周囲に還元することで、また周囲に認められるようになり商売が更に上手くいくという好循環を生み出すことになる。
仕切る者
次第にそんなモムバーニに対して、仲裁などの面倒な仕事を頼まれる事が多くなる。モムバーニが嫌な顔せず引き受けることから、そういった仕事が多くなり、やがてはセントサリア全体を仕切るようになっていったという。統一暦600年頃に、トルバーセ、ウフコスが建国され、それぞれセントサリアを自分達の領地になるように要求されると、その対応をモムバーニがする事になる。
外交交渉をした事が無かったモムバーニは戸惑うが、自分達は商売が出来ればよく、それであればどちらに属しても関係ないと考え、両国の間で決めて欲しいと主張する。この主張に対して、出来たばかりの両国は互いに争う事を嫌がり、それぞれが領地とするという奇妙な状態になってしまう。結局、セントサリアは両国に度々干渉を受けるようにはなったが、奇妙な安定を生んだという。
多くの者が、モムバーニの交渉術を評価したという。モムバーニ自身は今ひとつ、評価された理由が分からないようでいたが、結果には満足していたという。
関連年表
統一暦555年:モムバーニ・ケト、生誕。統一暦600年頃:モムバーニ・ケト、セントサリアを仕切る。
統一暦621年:モムバーニ・ケト、死去。
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