ジャプラ
[ジャプラ]
ダスダクトにあった町で商業都市として発展する。統一暦1260年に起きたジャプラウィムン事件で知られている。
成立
ダスダクトのひとつの町として統一暦1200年頃に成立した。商業都市として発展することを期待されて作られた。特色のある産業が特にあるわけではなかったが交通の便がよかったことから、物流を中心とした商売の中心都市としてその役目を果たすことになる。ダスダクトの経済の中心となるようになって、ジャプラを治める領主はダスダクトの中では一目置かれる存在となっていく。
町が生み出した物
商売の中心として栄えていたジャプラには、商売をする者や一攫千金を夢見る者がたくさん集まるようになり、人や物の流通がより活発になりますます発展していくという好循環を生み出していく。しかし、ジャプラが繁栄することで生み出されたのは必ずしも良い物だけではなかった。統一暦1250年代になると、人や物や金が集まることで、得体の知れない者や素性の知れない者が集まり治安が悪くなるという問題や、貧富の差が生まれるという問題、ミュアゼルムのような周辺に貧しい町が生まれるという問題が起こるようになっていた。
こういった出来事を是正することがジャプラの領主の重要な役割となっていった。この問題に本格的に取り込んだのは、当時の領主ゼオ・ウィムンである。ゼオは多少強引な方法で諸問題を是正しようとした。
統一暦1260年に引き起こされたジャプラウィムン事件はこの強引さが生んだ事件だとも言われている。
衰退する町
統一暦1300年代になると町の勢いは完全に姿を消す。ジャプラウィムン事件をきっかけとして一時は貧富の差が解消されて、諸問題が解決する兆しを見せたが、経済発展するに従い再び同じような問題を抱えることになる。ダスダクトは強権を発揮し、直接的にジャプラを治めることで治安の回復や貧富の差の解消を図るが、それが功を奏することはなかった。最終的に、ダスダクトはジャプラに見切りを付けると、自治権を与えるという名目で放置されてしまうことになる。そのまま荒れ果てたジャプラは徐々に衰退していくことになる。
統一暦1350年代には町としての機能は失われていたといわれている。
関連年表
統一暦1200年頃:ジャプラ、成立。統一暦1250年頃:ジャプラ、貧富の差などが問題となる。
統一暦1260年:ジャプラで、ジャプラウィムン事件が起きる。
統一暦1300年頃:ジャプラ、再び貧富の差などが問題となる。
統一暦1350年頃:ジャプラ、町としての機能が失われる。
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