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ナタ・フーナ

[ナタ・フーナ]

統一暦890〜974年
アイセン独立に携わった者のひとり。穏健派として知られている。

生い立ち

父親は職人であったが、アイセンの者ではなかったようである。ナタが生まれた直後に職人としての腕を磨くために一家揃ってアイセンへと移り住んだという。幼かったナタに取ってはアイセンで生まれ育ったようなものであった。しかし、父親はアイセンに馴染む事が出来ずにかなり苦労をしていたようである。多くの職人の中で自分の才能が埋もれていくのを感じ、それを自分のせいだとは思わずに環境のせいにした。その事が更に自分を苦しめ、アイセンの者で無いために苦労していると思うようになっていた。
これに反して、アイセンという環境で育ったナタは父親の苦悩を理解する事が出来なかったという。父親の姿を見ていたナタはアイセンでは珍しく職人への憧れを持たないで子供時代を過ごしたという。

穏健派

職人としての道を歩まなかったナタは役人となる。この当時、アイセンはサリアリアス皇国の一都市ではあったが、職人を中心とした都市として栄え、比較的大きな自治権を持つ都市であった。役人となったナタが見たのは、サリアリアス皇国との間で水面下で行われている駆け引きであった。この時期、アストインバーグが建国され徐々にサリアリアス皇国の力が失われつつあった。
サリアリアス皇国は劣勢を挽回するためにアイセンの力を欲したのだった。この時、アイセンは表立ってサリアリアス皇国に反するのではなく、表面上は恭順のフリをしつつ、実質的には交渉を先延ばしする事で事態の推移を見守っていった。ナタはその役割を果たすべき実際に交渉に赴いている。この交渉の中で、アイセンとサリアリアス皇国、アストインバーグの実情を知ったナタは、戦乱になればひとたまりも無くアイセンが滅ぶ可能性が高いことを知る。この事が、後に穏健派と呼ばれるようになった下地であったと言われている。
統一暦950年頃になると、サリアリアス皇国の衰退は目に見えて現れ、アイセンでは立を望む声が高まっていく。交渉により、サリアリアス皇国との関係を保ってきたアイセンであったが、その声を無視できなくなっていた。
役人として幹部になっていたナタは、武力を持って独立を主張する強硬派を抑えるために、アイセンをサリアリアス皇国からの独立を宣言し、アイセンを守るための軍を整備する。そして、その幹部に強硬派の中心的存在であったトズム・イジェクを含む数人を指名する事でその流れを抑える事に成功する。
しかし、統一暦973年、アイセン攻防戦が起こった事でとうとうアイセンは戦乱に巻き込まれてしまう。すでに年老いて一線を退いていたナタは、結果的に強硬派の流れを食い止めることが出来なかった自分の裁量の無さを嘆いていたという。

関連年表

統一暦890年:ナタ・フーナ、生誕。
統一暦973年:アイセン攻防戦。
統一暦974年:ナタ・フーナ、死去。


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