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シモロ・ロオッテ

[シモロ・ロオッテ]

統一暦1233〜1260年
ジャプラの役人。ジャプラウィムン事件の犯人とされ、疑惑の中で自ら命を絶ったと言われているが、後にカラツキの著書、失われた戦いにおいて真実が明らかにされ、被害者で命を奪われた事が明らかにされる。

生い立ち

ジャプラの役人の一家に生まれている。役人である以上、公明正大であるべきという両親の教えの元、厳しく育てられた。役人になる事を望まれ、本人も役人になる事が当然だと考え、そして、当たり前のように役人となる。

役人として

シモロは公明正大であるべきだという教えを守りながら役人として過ごしていく事になる。その姿は役人としては本来正しい姿ではあったが、融通が利かない者ともされ、周囲に好かれる事はなかった。それでも、シモロは自分の信条を守っていた。そんなシモロが許せなかったのが、領主のゼオ・ウィムンであった。
ゼオは裕福な者や権力を持つ者に対しては厳格であったが、社会的弱者に対しては寛大であった。シモロにしてみれば、立場によって他者を区別するゼオの姿は許しがたい存在であり、その事が原因で二人は揉める事になる。

犯人扱い

二人が揉めている事が周知になりつつあった統一暦1260年、ジャプラウィムン事件が起こる。この事件で、ゼオが命を落とすと、犯人として、ゼオと対立していたシモロが疑われる事になる。
シモロはこれに対して明確に反論しなかった事が更に疑惑を深める。そして、その最中自ら命を絶ってしまう。シモロは死を持って潔白を証明するという遺書を残したが、その後の調べでシモロが事件に関与したと思われる証拠が次々と発見される事になる。その結果、シモロの怨恨による犯行として事件は収束する事になる。

真実

事件から6年後の統一暦1266年、カラツキの著書、失われた戦いにおいてジャプラウィムン事件の真相が明らかになる。シモロの死は自殺ではなく、犯人でもないと分かるとその評価が一変する。シモロは誰に対しても公平であり、それは本来の役人の模範となるべき姿ではないかというものであった。
これとは反する形で、シモロの部下であり、シモロを犯人に仕立て上げたのがユアル・トゥシオは逃げるようにジャプラから姿を消したという。

関連年表

統一暦1233年:シモロ・ロオッテ、生誕。
統一暦1260年:シモロ・ロオッテ、死去。
統一暦1266年:カラツキの著書、失われた戦い発表。


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