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ケティト・ヒロカ

[ケティト・ヒロカ]

統一暦972〜1011年
ベクコーズの王。
サアムイの戦いで、ティティ・バルを招聘し全権を委ねた結果、戦いに勝利するも国を荒廃させた者として非難され、王としての立場を奪われる。

生い立ち

ベクコーズの王モチリワ・ヒロカの第8王子として生まれる。母親が第3王妃であったため、王子ではあったが、その立場はあまり強い者ではなかった。他国とのつながりのためにいずれは養子に出されるのではないかと考えられていたが、自分よりも王位継承権を持つ王子が次々と亡くなった事で自然に王位へと近づいていった。
そして、成人した時には、王位継承権を持つ唯一の王子となっていた。
更に幸運なのか、不幸だったのか分からないが、第1王子となった直後にモチリワが病に倒れ、ついにケティトは王となってしまう。

王として

想像していなかった展開で王になったケティトであったが、王になった経緯から呪われた王といわれる事もあり、周囲から忌み嫌われていたようである。これを払拭するために、ケティトは開かれた王政を目指し改革に着手した。幼い頃、立場で苦労した事もあったためか、この改革は比較的順調に進み民の支持を多く集める事に成功したという。
国内が安定した、ベクコーズにとってもうひとつの問題は、隣国であるカーセフィアの存在であった。ここを制覇する事が、ベクコーズにとって念願であり、国内情勢が落ち着いてきたケティトにとっても倒すべき相手だと考えた。
こうして、後にサアムイの戦いと呼ばれる戦いが起こる事になる。
ケティトは、まず、カーセフィア侵攻の足がかりとするべく、同じく隣国で小国であったミルガルズへの侵攻を試みる。しかし、ミルガルズとカーセフィアが手を結んだ事で、逆にカーセフィアの侵攻を許してしまう事になる。
この劣勢を跳ね返すためにケティトが考えたのが、当時、雇われ戦術家として名高かったティティを招聘する事であった。ティティは全権を任せる事を条件とし、ケティトはこの条件を飲んだ。これに反対する者は多かったが、ケティトはその声を一切無視してティティに全権を委ねたのだった。結果、戦いに勝つことは出来たが、ベクコーズもまた甚大な被害を被ってしまう。

失った王位

国を荒廃させたケティトの立場は急に苦しいものになる。それまで、ケティトを支持していた者までもが、所詮は8番目の王子に過ぎなかったというようになる。ケティトは国を再建しようとするが、王位にしがみついているように見えるその姿は、ただ反感を生むだけであった。結果、ケティトは王位を奪われる事になってしまう。
ケティトは王に望んでなっていないにも関わらず、そう思われてしまう事にただただ悲観したという。

関連年表

統一暦972年:ケティト・ヒロカ、生誕。
統一暦1002年:サアムイの戦い。
統一暦1011年:ケティト・ヒロカ、死去。


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