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オカ・リャーシ

[オカ・リャーシ]

統一暦875〜944年
ポストマーズトマーズの貴族。

生い立ち

ポストマーズのトマーズの貴族で海洋貿易によって財を成したリャーシ家の跡取りとして生を受ける。幼い頃より帝王学を学んで育てられるが、学べば学ぶほど、自分の身の回りにいる大人が、その理想とは異なり、先祖が残した遺産をただ食い物にして生きている様を目の当たりにして、矛盾を感じるようになる。
そして、これを改善する事が自分の務めだと思うようになる。
統一暦900年、25歳で、早々に当主となると立派な貴族になるべく行動しようとする。

挫折と諦め

しかし、オカはすぐに挫折する事になる。オカ自身は、挫折した理由を自分自身に流れる怠惰な血のせいであると言い訳している。要するに今まで怠惰な貴族であったリャーシ家の血脈は自分ひとりではどうにもならないと言っているのだが、実際のところは、本質的に怠惰なオカが当主についたことで甘くて魅力的な誘惑を避ける事が出来なかったというだけの事である。
堕落しきった生活を送りながら、これを改善するための最後の手段としてオカが考えたのが、貴族としてのリャーシ家を潰すというものであり、そのための手っ取り早い手段は跡継ぎを残さない事であると考えた。
しかし、運が良いのか悪いのかオカは子宝に恵まれ四男四女を授かる。しかし、いずれも跡取りとしないことを決めていたオカは教育方針として別の家に養子として引き取らせて自分自身には子供がいないとした。この方針を見て、子供はいずれも浮気して出来た子供ではないかと思われることもあったようである。
こうして、オカは跡取りがいなくなり、貴族としての地位を捨てる事に成功し、リャーシ家の名を亡くす事に成功する。

親として貴族として

子供を次々と養子に出したオカであったが、それぞれの子供に対しての思い入れは深かったようである。貴族であった頃は、資金援助を惜しむ事は無かったという。また、こういったオカの態度は好意的に受け止められていて、ある意味で貴族としてのオカは高い評価を受けてもいたという。
貴族に対しての未練は全く無かったオカであったが、子供に対してはそうでもなかったらしく、そのため、成長を見届けるまでは、貴族である事を捨てなかった所もあるようである。そして、貴族の名を捨ててからは、自分が子供の負担にならないようにとひっそりと暮らして余生を過ごしたという。
オカの子供たちは、その後、それぞれに貴族であればしない苦労をしたようであるが、真っ当な者としての生活を歩んだという。その中のひとり、末の娘であるタニア・ルルコマイセウス・リンドウの元で家政婦をしていたことでも知られている。

関連年表

統一暦875年:オカ・リャーシ、生誕。
統一暦944年:オカ・リャーシ、死去。


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