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サイド・ボド

[サイド・ボド]

統一暦1478〜1562年
ハイ・プレルドワイト・スクリアットと共にスオウスサを作った者。形式的にスオウスサの初代国王となる。

生い立ち

悪戯好きで悪がきという表現が当てはまるような幼少時代を過ごしたという。度を越した悪戯をする時もあり、いずれは大物になるか、小物になるのかでありふれた者にはならないだろうと思われていた。
10歳を過ぎた頃になるとかつての悪がきの面影はなくなり、真面目な性格になったと言われるようになったというが、その心の内に秘めているものがあったようである。その思いは20歳を過ぎた時に、突然姿を消した時に現れたのではないかと言われている。

放浪の旅

サイドは放浪の旅をしたと言われているが、この期間の正確な記録はあまり存在しない。その理由として考えるのはその旅でたいしたことをしていないからだと言われている。旅の途中、ハイ、ワイトと知り合いになるが、それもただ単に酒を飲んだ時に調子に乗り意気投合しただけであるといわれる。

初代国王

サイド、ハイ、ワイトの三人は意気投合し旅をすることになる。その時の合言葉は自分達の王国を作る立ったという。国を作って好き勝手にやることを夢見ていたという。その時に耳にしたのが、かつてあったネガロサ王国の話である。呪われた国として知られていたネガロサ王国の話を聞いた三人は、そこに国を作ればいいのではないかと考えるようになる。そして、土地のことをあまり知らない者たちを集めて国を作ることを画策する。こうしてスオウスサが建国される。
この時に問題になったのが、誰が王になるということであった。三人は楽な立場になりたいと考えてそれぞれ、王になることを嫌がった。結果、くじ引きで決められることになり、サイドが初代国王としての役割を負う事になった。
王となったサイドは、自分の立場を考えるようになり、良き王となるべく努力をするようになったという。それは、それまでのサイドとは異なる態度で、地位がその責任感を芽生えさせたのではないかと言われている。しかし、そんなサイドとは違い、楽な地位で好き勝手やることを望んでいたハイ、ワイトとは考え方が異なるようになっていった。結果、三人の間で不協和音が発生することになる。
この諍いの中で、サイドは建国に携わった者として、ハイとワイトにその責務を負うべきだと考えていたが、二人はそれを真っ向から否定した。逆に二人はサイドが権力にしがみついている存在だとした。これをきっかけに三人は仲たがいすることになる。それぞれに自分達の権力を手放そうとしない結果、10年足らずで国は衰退してしまう。そして、それに嫌気が差したサイドは真っ先にスオウスサを見捨ててその姿を消したという。残った二人もそれに続くようにスオウスサを去ったといわれている。
ある説では、サイドは自分が去ることで二人がいなくなることを予期していたともいう。それで国を立て直すことが出来るのではないかと考えてたともいい、復権の機会を狙ったとも言われている。しかし、サイドの考えどおりに国がまとまることはなく、滅びてしまい、結局、サイドは再び王となることはなかった。

関連年表

統一暦1478年:サイド・ボド、生誕。
統一暦1510年頃:スオウスサ、成立。
統一暦1530年頃:スオウスサ、崩壊。
統一暦1562年:サイド・ボド、死去。


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