シーディア・エスポテ
[シーディア・エスポテ]
統一暦1934〜2008年宝探しグループサラモドのメンバー。
生い立ち
生まれた年が1年しか違わないササラ・モンドとは幼馴染として育つ。ひとつだけ年上のシーディアは常にササラの面倒を見て、周囲の大人たちはシーディアをまるで小さな親だと言っていたという。この傾向は、ササラの弟、ルアク・モンドが生まれたことでより顕著になったという。好奇心旺盛なササラを注意することがあったが、その反面、ササラの提案に自分の好奇心が刺激されて、共に無茶をしてしまうこともあったという。そして、共に、またはルアクを加えた3人共に怒られたという。
統一暦1951年、ササラはサラモドを結成すると、気がついた時にはそのメンバーとなることが決められていた。シーディアはササラが無茶をしないかを心配したが、同時に何か楽しいことが起きるのではないかと考えていたという。サラモドには、ルアクも同時に加わっている。
サラモド時代
サラモドが長く続いた理由の最大の理由は、三王石のありかを示した記録石の発見であるといわれているが、シーディアとルアクが組織の根底を支えていたこともその双璧を成していたともいわれている。シーディアは状況に応じて、サラモドをササラが望むように管理していたという。たまに苦言を言うこともあったが、ササラの意向を完全に受け入れていたという。
不思議な責任感
シーディアがササラを支え続けた理由を問われた時に答えたのが、不思議な責任感という言葉である。生まれた年が1年早くそのため、面倒を見るように親や周囲の大人に言われたことがそのきっかけであったといい。それが生涯変わらなかった理由は結局のところ、分からなかったと語っている。或いはそれは恋心という感情であったかに対しては、明確にしていない。おそらくそれは本人にさえ分からない感情ではないかと推測されている。シーディアは結局、ササラのその最期の瞬間を見届けてから、この世を去っており、不思議な責任感を達成させたのではないかと言われている。関連年表
統一暦1934年:シーディア・エスポテ、生誕。統一暦2008年:シーディア・エスポテ、死去。
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