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ムツキ・カンヌ

[ムツキ・カンヌ]

統一暦1579〜1653年
ヘリゲアの宰相。千道七譜のひとつ、瞬拍子の使い手であったとも言われている。

生い立ち

ヘリゲアの役人の子供として生を受ける。幼い頃は、体が弱く病弱だったという。将来のことを心配した両親によって、成長すると武道を習うことになる。性格的にも大人しかったムツキはそれがとても嫌で堪らずに、いかに痛い目に会わずに済むかだけを考えるようになった。そして、周囲の気配から上手くサボるコツというのを覚えるようになる。後にこれが瞬拍子の目覚めだったのではないかと言われる。成長するに従い、体が丈夫になってきても、ムツキが武道に真剣に取り組むことはなかったという。

才能の目覚め

ムツキが一度だけ本気になって戦ったのが、統一暦1597年の18歳の時である。この時、些細なこと、後に語るべきほどの理由ではないとムツキ自信が騙っている、が原因で武道の師範と諍いになり、その決着をなぜか試合で果たすということになってしまった。この時、ムツキは普段なら考えられないことに怒りを納めることが出来ずにその試合を引き受けてしまった。しかし、そこで冷静になったのが、ムツキらしいところでもある。試合を始めたときには、完全に冷静になっていたムツキは、真剣に相手と立ち向かい、そこで相手の呼吸を全て見極めることが出来た。これがムツキが瞬拍子に完全に目覚めた瞬間であった。ここで相手を完全に倒すことが出来たが、ムツキはそれをすることなく、一番ダメージを受けにくい攻撃をわざと受けて早々に負けたという。
これをきっかけに、この能力の使い道を考え始めた、ムツキは戦いという状況でもなくても、ある程度の緊張感を持てば、その力を十分に発揮できるということに気がつく。
そして、この能力の有効な使い道を考える。

出世街道

ムツキは親の手助けを得て役人になると瞬拍子の力を使い周囲に取り入ることで自分の能力があるように見せかけ、次々と出世していくようになる。ムツキは有力者に取り入ることは勿論のこと、そうではない者に対しても同じように接した事で、周囲を味方につけ、ムツキのために何かをしてあげたいという雰囲気を作るのが上手かったという。その基本となったのが、瞬拍子を場の空気を読む手段として用いたことは勿論のこと、その空気を活かした巧みな言葉であったとも言われている。そして、最終的には宰相の地位まで上り詰めている。しかし、宰相としてムツキは自分から何かをすることは無かったが、周囲の手助けを得て、まずまずの評価を受けることになる。

関連年表

統一暦1579年:ムツキ・カンヌ、生誕。
統一暦1597年:ムツキ・カンヌ、瞬拍子の能力に目覚める。
統一暦1653年:ムツキ・カンヌ、死去。


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