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モカ・ドンサ

[モカ・ドンサ]

統一暦922〜1001年
タチトにあったギュラ工房の3人の設立者のひとり。主にデザイン面を担当していた。

生い立ち

アイセンで鍛冶屋の子供として生まれる。アイセンの子供の多くがそうであるように、モカは物心付いた時には鍛冶屋になりたいと考えていて、親の手伝いをしていたようである。ただ、モカの親は技術を教えることは無なかったという。親の考えとしては、職人になりたいのであれば、仕事を見て覚えて欲しいと思っていたようであったが、モカは何も言われないことを良い事に好き勝手に訳が分からない物を作っていたという。その姿を見て、芸術家にでもなるつもりなのかとモカの親は苦笑したという。
成長して親の手伝いを本格的にするようになると、そこで初めてしっかりとした手ほどきを受けることになる。それまで我流でやってきたモカはその時が一番大変だったと後に語っている。

独立と失敗と成功

鍛冶屋として親の手伝いをしながら、モカはいずれは独立することを夢見ていた。その頃、知り合ったのがベアリ・コプタマビュウ・ジオである。二人もまだ雇われ職人であったが独立する計画を進めていて意気投合したモカもそれに加わることになる。こうしてギュラ工房が設立させる。アイセンに多数ある工房との差別化を図るために、モカが提案したのが、デザインを重視することだった。モカは幼い時に自分で好き勝手に物を作るのが好きだったことを忘れられないでいたのだった。このモカの提案がギュラ工房の基本的なコンセプトとなり、そのデザインを任されたのはモカであった。
しかし、デザインを重視した商品はアイセンでは評価を受けることはなかった。赤字続きの店を維持することが出来なくなった3人は都落ちするような格好で店をタチトに移すことにする。この時、落ち込む、ベアリとマビュウに対して、場所が変わってもまだ仕事が出来ることをモカは喜んだという。
タチトに店を移すにあたり、3人は店の方針について改めて議論をしたという。この時、ベアリとマビュウはデザインを重視した今までどおりの方針を貫くべきだと主張し、モカはそうではないのではないかと考えていた。ギュラ工房を最初に設立した時にデザインを重視するべきだと真っ先に提案していたモカのその考えにベアリとマビュウは驚いたが、モカの話を聞き、納得して結論を出したという。
その結果、出た結論は利便性の上にデザインがあるべきではないかと言うもので、それを元にすべての商品を見直したという。
それが功を奏したのか、それ以降、ギュラ工房は人気の工房となる。

モカの才能

幼い頃に自由に物を影響か奇抜なデザインをすることが好きでその能力も高かった。その反面利便性を考えないものが多かったという。空気、水といった曖昧な物から想像してデザインをするという。しかし、アイセン時代はデザインを先に考えてから道具を考えていたために、道具の機能を活かせず評価されることはなかった。
タチトに移ってからは、まずは、道具を作り、そこからイメージされる物をデザインに組み入れることで評価が高まるようになっていったという。

関連年表

統一暦922年:モカ・ドンサ、生誕。
統一暦1001年:モカ・ドンサ、死去。


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