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イロリル

[イロリル]

リズイエルの属国であった国。

成立

統一暦1200年頃には成立したと言われている。農業を主体とした牧歌的な国で、争いごとの少ない平和な国であったとされる。取り立てて目立った産業や資源に恵まれた国ではなかったので、他国から狙われることも脅威とされることもなかった。
王制ではあったが血統を重視した者ではなく、年長者が交代で務めるという少し変わった方式であったという。それは、イロリルにとって王とは、強い権限を持った存在というようりも、象徴的な存在に過ぎないことの現れでもあった。

争わない国

統一暦1654年、トナモザ・カーブにより隣国としてリズイエルが建国されるとその最初の標的にされる。当時の王、ゴウ・ラパダはすぐに恭順を示し、属国となることを提案する。争いに巻き込まれることを嫌った多くの国民はそれを支持した。トナモザはその恭順を受け入れたが、その条件として、イロリルの王制の変更するように求めた。トナモザは、王が変わるごとに体制に変化があっては面倒だと考え、ゴウの一族、ラパダ家が王の立場を維持し続けることを求めたのだった。この条件にゴウは難色を示したが、結局は従わざるを得なかった。
リズイエルの支配体制が強まっても、それまでのイロリルとさほど変化は無い様に思われた。ゴウは一族が王になっているのはたまたまで、能力が優れているわけでもないということを子供たちに教え込んでいった。こうったこともあり、それまでと変わらずにイロリルは存在し続けていくように思えた。
しかし、トナモザが死にリズイエルが支配者として傲慢な態度を示したり、ゴウの何代か後の王が次第に王であることを当たり前だと思うようになり、権威を強調するようになってくると少しずつ不満はたまってくるようになった。

象徴としての王

統一暦1802年の王兄の事件とそれを発端としたリズイエル大乱でその不満は一気に爆発した。その当時の王、ヨシ・ラパダは国の中で争いが起こることを良しとせずに王権を手放すことをすぐに決める。この決断の早さが良かったのか、イロリルの国民性が影響したのか、これをきっかけとして争いが起きることなく、民主化へと移行していく。ただし、王制そのものは、長い間イロリルのために力を尽くしてくれたものとして、権限のない象徴的な存在として残されることになる。

関連年表

統一暦1200年頃:イロリル、成立。
統一暦1654年:イロリル、リズイエルの属国となる。
統一暦1802年:王兄の事件。
統一暦1803年:イロリル、民主化される。


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