カタ・エザ
[カタ・エザ]
統一暦933〜1008年アストインバーグの将軍。エザの惜別が起こったのが、カタの邸宅であったことでその名が知られている。
生い立ち
アストインバーグ誕生の頃に活躍したというレヌアト・エザの孫に当たる。祖父の武勇伝を聞きながら自分も兵士となりたいと考えていた。実力主義であったアストインバーグではレヌアトの孫という名声は通用しなく、逆にレヌアトの孫ということがカタにとっては重荷になっていったようである。それでも兵士となり活躍したのは、本人の努力とその能力の高さゆえであった。
将軍として
アカネ・ヤヨイが20歳の若さで4代目の皇帝になると、その凛とした姿に憧れを抱いた。皇帝のために役に立ちたいという思いは更なる努力を生みやがては将軍と呼ばれる身分になっていった。そうなると、今度はさすがレヌアトの孫だと評されるようになり、その点はカタは苦笑するしかなかったという。カタがそのことで喜んだのは、レヌアトが初代皇帝ミノオ・ナツカから賜ったといわれる邸宅をカタが受け継ぐことを許されたことであったという。カタが憧れていたレヌアトとアカネの両方に認められたような気がしていたと後に話している。事件の起きた場所
統一暦984年、そのカタの邸宅でマ・ミ・シュアン討伐の会議が開かれ、後にエザの惜別と呼ばれる事件が起こる。この事件に関して、カタはいつもとは違うアカネの様子を感じ取っていたともいう。しかし、その後のアカネは、それまでと変わらない存在であったともいう。アカネの死
統一暦994年、アカネが病で亡くなると激しい喪失感に悩まされていたという。それでも、残された者としての責務を果たそうとしたが、アストインバーグがアカネを失った影響は大きく、そんなカタの思いとは別にアストインバーグは衰退の道をたどって行く事になる。関連年表
統一暦933年:カタ・エザ、生誕。統一暦984年:エザの惜別。
統一暦1008年:カタ・エザ、死去。
Copyright (C) 2005-2013 うかりこ. All Right Reserved