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バフル・ビーロ

[バフル・ビーロ]

統一暦692〜728年
クミタフリアの神官で、クミタフリアの禁忌を起こした者。

生い立ち

信心深い両親に育てられ、その影響もあり、幼い頃から神殿に頻繁に通うようになり、それがきっかけで神官への道をたどることになる。

神官として

極めて勉強熱心の性格であったと言われている。その性格の根本にあったのは、信心深さだといわれている。
しかし、勉強すれば勉強するほど、分からなくなることも多々あったようである。その中で最も疑問に思っていたのが、神魔法の限界に関してである。
の力を最大限に利用できるのであれば、どんなことでも実現することが可能ではないかと考えたが、実際には扱える魔法には制限があることが多かった。魔力の大きさやその使い方がある程度は左右したとしても、信心深い自分に限界がある理由を見出せなかったという。
そして、禁断の魔法と言われる蘇生の魔法は本当は実現可能な魔法ではないかと考えるようになり、その実現のための方法を模索したという。この当時、生命の損失は魔力の損失と同じであり、そのため、魔力を移植すれば蘇生させることが可能ではないかと考えるようになったという。
バフルのこういった考えに対して、蘇生魔法を公に認めていない神殿側は、上官を通してやんわりと注意を促したとされる。
バフルはその注意を表面的には受け入れ、蘇生魔法について調べることを辞めたという。ただし、心の奥底では、蘇生魔法の存在を信じるという結論に至っていたようである。

禁忌の事件

統一暦728年、少女クー・カキエを蘇らす為に、クミタフリアの禁忌と呼ばれる事件を起こしてしまう。
この事件で民間人20名あまりの命を奪い、更に被害を拡大させようとしたバフルは、上官であるクイット・スタルにその場で処刑されてしまう。結果、クーが蘇ることも無かったという。
この事件で根強く残っているのが、クー生存説である。蘇生魔法が実は成功していたとされる物である。この事は、バフルが蘇生魔法に関して、執着を見せていたこともその根拠とされている。
また、事件を終焉に導いたクイットがその事を証言した後に姿を消しているとも言われている。

関連年表

統一暦692年:バフル・ビーロ、生誕。
統一暦728年:バフル・ビーロ、死去。


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