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センフ・ガタド

[センフ・ガタド]

統一暦889〜960年
ポストマーズソマーズ幻獣将軍双頭鷲の称号を持つ。

生い立ち

ソマーズの中では名門と呼べる家に生まれていて、生まれながらにしてある程度の地位が約束されていた。
幼い頃から、そんな環境に疑問を持ちながらも、自分が望まれている役割を果たすべきだと考え、その努力を怠らなかった。
成人して、その実力を示し始めると、さすがに名門の者だという評価のされ方を不思議なものだと感じていた。しかし、そのことを顔には出さずに笑って受け流していたところは育ちの良さから来ていたのではないかと思われている。

配置の妙

センフが優れていたのは、直接的な戦闘における活躍だけではない。その戦乱の前準備の段階での配置が巧みであった。それは単に適材適所に配置をするだけではなく、地位や立場までを考慮した配置をする。こういった事をする最大の理由は、センフが言うには楽をするためだという。センフは戦乱においては個々の能力を発揮させることが大事だと考えていた。あらゆる場面を見通して作戦を立てることは不可能だとセンフは考えており、戦乱の場面に応じて、最高の判断が出来るのはその場にいる者だけだと考えていた。そのために、その判断が的確に行えるような配置の仕方をしていたのだった。
このセンフの腕を評価していたのは、主に実際にセンフの下で戦った者たちであった。逆に目に見えた形で活躍をしていないセンフに対して外部からは高い評価を受けることはなかった。センフはそのことを気にしてはいなかったが、センフの部下達がその評価を不服として、センフを幻獣将軍にするべきだという声が上がるようになる。
ここでもセンフが名門の出ということが影響した。当時の王ナギ・スファイアがその権威を強調するために、センフを幻獣将軍としたのだった。

幻獣将軍として

幻獣将軍となったセンフは、その立場を利用して様々な立場の者達を人材登用して活用していった。その中には後に幻獣将軍となったフェルト・アゼムヒニ・クウの姿もあったという。
王殺しの事件の時には、名目上はまだ幻獣将軍として名前を残していたが、実際には高齢を理由にほぼ引退していたような状態であった。仮にセンフが健在であれば、王であったベシア・スファイアの暴走を止めることが出来たのではないかといわれることもある。
目に見えた分かりやすい形で成果を上げていなかったために、その評価をされることはあまり無いが、二人の幻獣将軍を育てたものとしてその名が知られている。

関連年表

統一暦889年:センフ・ガタド、生誕。
統一暦960年:センフ・ガタド、死去。


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