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マースエル・ダ・ハ

[マースエル・ダ・ハ]

統一暦1004〜1081年
二十信徒の一人、ニアーティック・ロリアの弟子の魔法士説時原論を発表した神学者、フーケ・ダ・ハの親であり師としても知られている。

生い立ち

生まれは名門の家で、それなりの環境で生まれ育ったという。本人はそのことが特別だという意識がないため、そのことを公にしたり、隠したりということもしていなかったという。恵まれた環境で幼少時代を過ごしていたが、時代は大陸戦争の真っ只中にあり、名門の家の責務として、何かをしなければいけないのではないかと思うようになる。
そして、二十信徒の一人として活躍しているニアーティックの事を知り、その弟子となって世の中に貢献したいと、それを実行する。
来る者を拒むことの無かったニアーティックは、マースエルを大勢の弟子の一人として受け入れる。

弟子として

ニアーティックがだいぶ高齢になった弟子ということで、ニアーティックとの関わりは実際にはそれほど無かったのではないかと考えられている。大陸戦争においても、それほどの活躍を見せてはいなく、大勢の弟子の一人でしかないと考えられている。

フーケの親として

ニアーティックの数多くの弟子の一人に過ぎなかったために、歴史的にそれほど有名な者ではなかった。しかし、後に子供であるフーケが発表した説時原論がマイセウス・リンドウの著書である可能性が高まると、フーケがどのようにしてそれを手に入れたかが注目されるようになる。
フーケの日記に寄れば、師の師の師から受け継がれとある。これをたどると親でありフーケの師でもあったマースエル、その師ニアーティック、更にその師のマイセウスとなる。このことから、大勢の弟子のひとりに過ぎなかったはずのマースエルが何故ニアーティックからそれを受け継いだのかに注目が集まった。
これに関して、受け継いだ事を秘密にするためにわざわざマースエルの名前が広まらないようにしていたのではないかという説が一時期主力であったが、その可能性は低いとされている。逆に、マースエル以外の者、あるいは全ての弟子に対して、ニアーティックはマイセウスから引き継いだ物を受け継がせていて、それを発表したのが唯一フーケだったのではないかという考えもあった。
ただ、その場合、他にもフーケのように何かを発表していても不思議ではないとも考えられ、正確なところは明らかにされていない。
また、この点が曖昧であることから、そもそも師の師の師がマイセウスではないのではないかと考える者もいる。

関連年表

統一暦1004年:マースエル・ダ・ハ、生誕。
統一暦1081年:マースエル・ダ・ハ、死去。


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