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ゼイスイ・ウィープ

[ゼイスイ・ウィープ]

統一暦340〜375年
シンミココツにおいて権力を握った独裁者。

生い立ち

幼い時に両親と共にフーリメ大陸から渡ってきたといわれている。両親が何かの咎を負っていた為、逃げるようにシンミココツにたどり着いた。幼いながらに、その逃避行の辛さを感じており、その苦しみがゼイスイの記憶の片隅に根付いたという。
たどり着いたシンミココツで、新しい生活を向かえたゼイスイは、法を遵守することで安定的な生活を約束されることを不思議なことと感じたようである。一説によれば、両親の咎は権力者により一方的に押し付けられたもので、そのことをゼイスイに語っていたことが原因だと考えられている。そして、法の下であれば何をしても許されるのではないかという考えに思い至る。

独裁者

統一暦370年代になるとシンミココツも国としてある程度の成熟期を迎えてくる。それまでは、単に国内の法だけで物事を解決できていたが、対外関係も重要度を増してくると、その交渉をするための代表者が必要となってきた。その代表者を選ぶための制度が考えられるようになってくる。この制度は単純に、国民の多数決によって代表者を選ぶという制度であった。
この制度を聞いた時にゼイスイはこれに選ばれることで、全ての権力を握れるという考えに至る。この制度の一番の欠点は、投票する者や選ばれた者が国のために行動するという前提の元に行われたことである。投票する者に対する買収や選ばれた者がその権力を好き勝手に使うことはないと考えていたのである。
ゼイスイは多くの者を買収することで、自分自身をその代表にすることに成功する。そして、代表となったゼイスイはその制度を自分の都合のよいように作り変えてしまう。更に新しい法を作ることで自分に権力を集中させると、自分に反対する者を法を下に罰して、その権力を磐石なものとして独裁者となった。統一暦372年のことである。

年寄りの説教

ゼイスイの独裁により、シンミココツは国として崩壊の危機を迎えてしまう。この事態に立ち上がったのは、国の成立に関わった者たちであった。すでに年老いて、隠居生活をおくっていた者たちであったが、最後の仕事だと立ち上がったのだった。その者たちは、ゼイスイの体制に加わっていた者たちに対して、最初に出来上がった法を持ち出し、説教を始める。多くの者たちを救うためにあるべき法が、一部の者たちの利益を守るためだけにあるのであれば、それが意味を持つのか。
この説教は、国の成り立ちを伝え聞いていた者たちの心に響き、ゼイスイの体制は内部から崩壊してしまう。ゼイスイ自身はその説教に何の感銘も受けずに、法に従って得た権力を法に従って使っているだけだと最後まで主張していた。そして、自身から権力を奪うのは法に背くことだとも言っている。
このゼイスイの行動により、シンミココツは権力が集中しない仕組みを作り上げ、南の監視者と呼ばれるようになる国となっていく。

関連年表

統一暦340年:ゼイスイ・ウィープ、生誕。
統一暦372年:ゼイスイ・ウィープ、独裁者となる。
統一暦375年:ゼイスイ・ウィープ、死去。


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