ukariko Creation

ukariko Creationについて
ブログ
リンク
メルマガ

フーケ・ダ・ハ

[フーケ・ダ・ハ]

統一暦1033〜1091年
説時原論を発表した神学者。

生い立ち

二十信徒の一人、ニアーティック・ロリアの弟子であったマースエル・ダ・ハの子供として生まれる。魔法士であったマースエルとの関係は、親子というよりも師と弟子という関係の方が強かった。物心ついたときには、マースエルのことを親ではなく師匠であると考えていたようである。
ただし、魔法士としての才能に恵まれていなかったフーケは、魔法士ではなくその知識を活かして学者の道へと進むことになる。しかし、だからといって二人の関係が変わることはなく、フーケにとってはマースエルは生涯、師のままであった。

説時原論の発表

統一暦1057年、大陸戦争が終わりを告げて、まだ世界が混乱に包まれていた頃、説時原論を発表する。無名の神学者であったフーケの本は、世界が混乱していた時期ということもあり、大して注目を浴びることはなかった。内容としては、世界の根本を揺るがすような問題を提起していたが、それを学術的に研究する者は誰もおらず、そのまま無名の神学者が出した本として消え去っていく。
以降、フーケは神学者として何冊かの本を出すが、それは説時原論に比べればごく平凡な内容であった。それでも、世の中的にはある程度の人気を博していて、神学者として食べていくには十分な評価を受けている。ただし、独自性がかけていたことで、後の世にまで伝わるような影響を残しているわけではなかった。

日記の記述

フーケの存在が注目を集めたのは、その死後、1000年近くたった統一暦2012年に、日記が発見されたことである。その日記の中でフーケは以下のように記述している。
「説時原論に書かれていることの真偽を実のところ私はよく知らない。
なぜならばその本を書いたのは私ではないからだ。
私はただまとめただけである。
師の師の師から受け継がれてきた物を・・・」
この記述と、フーケの師の師の師が偉大なる魔法士マイセウス・リンドウであることが分かると、説時原論に一気に注目が集まることになる。これに付随してフーケの再評価も行われたが、特に目新しい物が発見されることもなく、評価が高まったということはなかった。ただし、その日記により名前だけは広く知られるようになった。

関連年表

統一暦1023年:フーケ・ダ・ハ、生誕。
統一暦1057年:フーケ・ダ・ハ、説時原論を発表。
統一暦1091年:フーケ・ダ・ハ、死去。
統一暦2012年:フーケ・ダ・ハの日記が発見される。


ukariko Creation Topへ
Copyright (C) 2005-2013 うかりこ. All Right Reserved