ティティ・バル
[ティティ・バル]
統一暦957〜1030年愛称「テテ」とも呼ばれていた戦術家。特にどこの国に所属することなく気ままに雇われることが多かった。
生い立ち
センドマカで生まれる。ティティが生まれたのは、土読みの技術を生み出した一族で、そのため幼少の頃から、土読みの技術を教え込まれたという。センドマカで一般的に広まっていた土読みの技術だけではなく、一族の中でひっそりと伝わっていた技術も授かっていたとも言われている。ティティは飲み込みが良くすぐに技術を習得することができた。この頃、センドマカはアストインバーグとの戦いを繰り返していたが、戦況は思わしくなかった。国境に住んでいたティティはたびたび戦火に巻き込まれ、その度に避難していたが、ある時、逃げ遅れたティティは自力でそこから逃げ出すために自分自身の持っているあらゆる知識を動員した。結果、無事に逃げ出せたティティは戦術という物に目覚めることになる。
戦乱に明け暮れるセンドマカでは、ティティの才能は高く評価されるようになる。
放浪者
しかし、センドマカでの戦術家としての日々は、ティティを満足させるまでには至らなかった。同じような相手に、同じような戦いだけをする日々に単純に飽きてしまったのだった。ティティは、センドマカに見切りをつけると放浪の旅をする。この旅の途中で、サンテンドの戦い、ワンゲエン紛争などに巻き込まれたティティは、それらの戦いで雇われ戦術家として知られることになる。
以降、いくつかの国に雇われるようになる。ティティが雇われてもいいかは第一にその戦いが戦術的に面白い戦いとなるかであり、戦いの正義や動機、金銭などは二の次であった。ただし、戦術家としては優れていたティティであったが、より大局的な戦略に関しては全く興味を示していなかった。そのため、戦術的な勝利を優先するために、多大な被害を被り、結果的にその戦いに負けてしまうこともあったという。
サアムイの戦いでは、半数以上の兵力を失ったことで、勝利は得ても、その他に何も得る物が無かった戦いと評された。
関連年表
統一暦957年:ティティ・バル、生誕。統一暦1030年:ティティ・バル、死去。
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