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ハッフマ・スィードゥ

[ハッフマ・スィードゥ]

統一暦440〜512年
ポストマーズ王立魔法学院の初代の学院長。

生い立ち

母親が古代王国の遺跡を調査する仕事に就いていた影響で子供の頃からその教育を受けて育てられた。覚えが良く、真面目であったが、真面目すぎる故に一度調べ始めると途中で止めることが出来なくなるほどであった。
大人になると、そのまま、古代王国の遺跡を調査、研究するための組織で仕事に就く。
天職であったのか、それまで以上に調査、研究に没頭し、成果を上げていく。

初代の学院長

出世や肩書きなどに全く興味がなかったハッフマはそれなりの実績を上げてはいたが、一研究者のままであった。ハッフマはその事に何の不満も持っていなかった。ハッフマは研究が出来れば満足であった。しかし、研究を続けるためには、より多くの金銭や人、物などが必要であり、そのための交渉にハッフマも参加することになる。
その交渉の席で初めて、ハッフマは研究のために必要な金銭などについて、知ることになる。
ハッフマは研究の成果を効果的に宣伝することが出来れば、研究に必要な物が容易に集まるのではないかと考える。そのための宣伝方法として考えたのが、研究で得た技術を魔法に応用することであり、そのための施設として王立魔法学院の設立を提案する。
この提案は思いのほかすんなりと賛同を得ることになる。
ハッフマの予想外であったのが、自分がその責任者となったことだった。ハッフマは仕方なく設立までは自分がその役割を負うことをしぶしぶ了承する。
しかし、それすらも思い通りにはならず、結局、設立と設立後の運営までハッフマが任されることになる。ある程度の研究は行えたが、実際に遺跡に出かけての調査、研究はかなり制限を受けていたようである。
そんなハッフマの晩年の楽しみは、孫娘であるキュア・マッツの存在であったと言われる。キュアはハッフマの勧めもあり、王立魔法学院で学び、後に魔法士と活躍したとされる。

関連年表

統一暦440年:ハッフマ・スィードゥ、生誕。
統一暦500年頃:ハッフマ・スィードゥ、ポストマーズ王立魔法学院の初代学院長に就任。
統一暦512年:ハッフマ・スィードゥ、死去。


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