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リズイエル大乱

[リズイエルタイラン]

統一暦1802年から1810年にかけてリズイエルで起こった内乱。
この内乱の影響は世界各地に波及し王制を中心とした支配体制が覆るきっかけとなった。

時代背景

統一暦1800年代は戦乱としては比較的落ち着いていた時代であり、国というものがどういう形であるべきものかを議論され始めた時期であった。
戦乱のように国同士で争う時には象徴的となる王の存在であったが、平和な時代においてはその必要性が薄く、その存在に疑問を持ち始めてきた時代でもあった。

弟殺し

統一暦1802年、この時代の流れを察したリズイエルの王トア・カーブは王制をより民主的な方法に移行させると共に属国であった5つの国を解放し対等の国として扱うことを目指すが、これに反対した兄レシ・カーブによって暗殺されてしまう。後に王兄の事件と呼ばれる事件である。
事件の後、レシは全権を握って自ら王と名乗るが、王であり、実の弟であったトアを殺したことに反感を覚える者も少なくなかった。これに対してレシは粛清を行おうとして更なる反感を得てしまう。
トアの家臣であったウィリト・ミタサはトアの息子リルパ・カーブこそが王に相応しいと反対勢力をまとめることに成功する。こうして内乱が始まる。
更にこの混乱を利用して自国の立場の強化を狙うルールアロエレドアログリドサシイロリルピニェヌサの5つの属国が参戦したことで更に混乱を深めていった。

反乱の拡がり

属国の参戦により混乱が深まり、戦乱が1年以上長く続いてくると、それぞれの国の住民達はこの戦いが何のために行われているのかを疑問に思うようになる。何の正義も大儀もない争いに加担している自分達の国に嫌気が差してきた国民達が反乱を起こすようになる。
この反乱は属国の間だけではなく、リズイエル内部にも拡大していくことになり、争いは更なる混乱を生んでいく。
長引く戦いの中で自分達が戦うことで戦乱が長引く原因になっているのではないかと思い始めたそれぞれの国民達は一斉に戦うことを放棄する。
戦いによって疲弊していたそれぞれの国は、それをきっかけとして戦いを止めることになる。この後、ルールアロ、エレドアロ、グリドサシは王制を廃し民主化への道をたどり、イロリル、ピニェヌサも王制自体は残されたが、権限の多くは国民の物とされるようになると、リズイエルからの支配の脱却を果たす。元凶となったリズイエルは、それでも戦いを辞めなかった。
統一暦1810年、このリズイエルに対してかつて属国であった5国が協力して軍事介入する。この軍事介入により、レシ側、リルパ側共に倒されると、民主化の象徴として新しい形のリズイエルの建国が宣言される。
この戦いの結末により、王制を中心とした支配体制に対しての反発が高まり、その影響は世界の各地へと波及していった。

関連年表

統一暦1802年:リズイエルで、王兄の事件が起き、リズイエル大乱。
統一暦1803年頃:リズイエル大乱、リズイエル、5つの属国で住民の反乱が相次ぐ。
統一暦1810年:リズイエル大乱、終結。


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