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ルティン・ウィンドウ

[ルティン・ウィンドウ]

統一暦902〜954年。
アクレ・ウィンドウの父親。
ポストマーズロマーズの兵士。
指揮官としては有能であったが厳格すぎる性格のため周囲からは煙たがれる存在だった。統一暦954年のソマーズの国境付近の集落に対する一方的な侵攻に対して国境監視をしていたルティンは僅かな手勢ながら駆けつけ、ソマーズ軍を国境付近まで追い返すことに成功するが、自身はその戦いで命を落としてしまう。

生い立ち

ルティンはロマーズの小さな村で貧しい農家の次男として生まれた。病弱な長男とは違い幼少の頃から体が丈夫で大きかった。8人目の兄弟が生まれたときに体の大きな自分がこのまま家にいると迷惑をかけると思い、家族の誰にも告げずに家を出る。この時、ルティンは13歳であった。 仕事を探そうとたどり着いた王都で食事に不自由しないという話を聞き、兵士になろうとする。当時のロマーズでは兵士は18歳以上とされていたが、ルティンは年齢をごまかして入隊する。体の大きかったルティンはばれずにそのまま兵士になった。

兵士として

兵士としてのルティンの最初の仕事は伝達係だった。そこでルティンは当時大隊長であったワーク・ロクトと出会う。ワークは伝達係という地味な仕事を不平なそぶりを見せずに淡々とやるルティンに関心を持った。一説ではワークはルティンが年齢を偽っていることを見抜いていたという。いずれにしろそれ以降何かとルティンを目を掛けるようになる。それに応えるようにルティンも地味ながらも確実に仕事をやり遂げていった。
その中でワークはルティンが兵士を運用する才があることに気がつく。やがてワークが立案した計画を実行するためにはルティンが欠かせない存在になっていく。
25歳の時にルティンはワークに副官として推挙される。と、同時にワークの三女エアリー・ロクトと結婚することになる。
この時、ワークはルティンを婿養子として迎え、自身の後継者にしようと目論んでいた。ワークには三人の子供がいたが、いずれも女であったために婿養子を取って家を継がせようと考えていたことと合致したのだった。しかし、ルティンはこれを固辞する。
自身が貧しい農家の生まれであり、家柄が違いすぎるというのがその理由だった。ルティンの考えを翻すことはワークにはできなかった。しかし、その真摯な人柄に惹かれたのがエアリーだった。
結局、ルティンはエアリーと結婚することにはなったがロクト家を継ぐことだけは拒否をした。ワークはひどく残念がったと言われている。
ワークは家を継がせることはあきらめたがいずれは大隊長にはしたいと考えていた。そのために小隊の指揮を任せるようになっていく。
そのことがそれまでのルティンの周りの評価を一変させる。それまではただワークに取り入ってる田舎者という目でしか見られていなかったが、それ以外の評価を受けることになる。

小隊長として

小隊長としてのルティンは厳格の一言で片付けられる。規則やルール、役割といったものを個人ごとに徹底し、管理することで小隊としての能力を発揮するというやり方をしていた。そして、それに従えないものに対しては罰を科した。そのために反感を買われていた。ある戦乱において、ルティンはその戦いで最も活躍した人物に対しても指示通りに動かなかったことに対して処罰を科すということもあった。
ルティンの小隊は一定以上の成果を挙げていたが、そういったこともありルティンは大隊長はおろかそれ以上昇進することがままならなかった。
このことに関してルティンはそれほど何も感じていなかったようだった。
統一暦954年。国境監視をしていたルティンはソマーズの侵攻に対して僅かな手勢をながら駆けつけ、ソマーズ軍を国境付近まで追い返すことに成功するが、自身はその戦いで命を落としてしまう。この戦いにおいて、ルティンが命を落とした後も、隊長を失った小隊が混乱せずにその役目をまっとうしたのは日頃の徹底した管理の成果だったともいえる。各個人がそれぞれの役割を徹底したことによる成果だった。このことが後のルティンの評価を高めたのは皮肉な結果である。死してその才を高く評価された人物であった。

アクレの父として

ルティン自身非凡な才能を持っていたが、歴史的な意味づけにおいてはアクレの父であったという事を抜きにしては語れない。
ルティンは妻であり、アクレの母であったエアリーをアクレが幼少の頃に失い、男手ひとつでアクレを育てあげた。
アクレに対してルティンは厳格な父親ではなかった。礼儀作法に対してはある程度の厳しさを持っていたようだが、それ以外は娘を溺愛しており、甘やかして育てたと言われる。アクレが大人になり近衛隊になりたいといったときも反対せずに、逆にそのために多少の根回しをしたとも言われる。その後のアクレの人生を見れば、その才能を実は一番初めに見抜いた人物であり、その才能を一番に開花させた人物であるともいえる。
アクレは生涯を通して父ルティンのことを最も尊敬していた人物と言っていた。
統一暦954年に命を落とすと、その死はアクレに多大な影響を与えたといわれ、後の王殺しの事件の直接的な原因と言われることもある。


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