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マイセウス・リンドウ

[マイセウス・リンドウ]

統一暦868〜970年。
ポストマーズトマーズ出身。
偉大なる魔法士であり、科学者でもある。
自身が魔法士でありながら、魔法が万能という考えには懐疑的であった。事実、
「科学によりすべての魔法は実現可能であり、魔法の力は特別なものではない」
と、いう言葉を残している。彼のこの言葉を境に魔法文化は衰退の一途を辿る。
後に魔法を滅ぼした者としてその名前を残すことになる。
統一暦2012年に説時原論がマイセウスの著書である可能性があることがわかると、説時原論と共にその評価を見直されている。

魔法士

マイセウスという名前が広く一般的に広がっているのは彼が偉大な魔法士であるからである。
彼がその才能を開花させたのは幼い頃の事であり、4歳の時にはすでに高位な魔法を使いこなしていたという。
12歳の時に、時のポストマーズ王立魔法学院の院長に認められ最年少の学院生になると、15歳の時には首席となっていた。
17歳の時に、ポストマーズの内乱(885年の役)においてその力を発揮し、トマーズを危機から救う。
その功績を認められポストマーズ王立魔法学院のテストールを任命されるがこれを固辞する。

科学者

マイセウスのもう一つの肩書きが科学者である。
彼が科学者としての顔を見せ始めたのは18歳の時であり、テストールを固辞した後、マイセウスはおよそ一年間の放浪の旅にでており、それが原因とされる。
彼はこの旅で三人の南方の人間に出会い多大な影響を受けたと語っておりその直後に科学に興味を持ち始めている。
その三人についてマイセウスが語ることはなかったがその中のひとりは科学の父と呼ばれるリーン・ホワントであると言われている。
リーンは魔法を科学的に分析しようとした初めの人物といわれておりマイセウスの研究手法にはリーンの手法を手本にしていると見られる個所が多々ある。

大陸戦争

マイセウス自身は当時すでに高齢であったため大陸戦争に直接的に係わることはなかった。
しかし、大陸戦争における英雄二人に対して道を示しており、このことが大陸戦争に多大な影響を与えたことは事実である。
そのうちのひとりは、アクレ・ウィンドウである。
巨大な力を欲していたアクレに対してマイセウスは弟子であり、ロマーズ十二魔法士の一人、ネイス・カーンを紹介する。このアクレとネイスの出会いはこの大陸戦争が長期化した要因のひとつである。
そして、もうひとりがヒコ・アイデントである。
成人し、アクレを追うヒコに対して南に行くように暗示する。
その際に最後の弟子であるニアーティック・ロリアを随伴させる。
ニアーティックは最初の二十信徒とも言われ、
ヒコに協力して、大陸戦争を終結させるために力を尽くした。
なお、ニアーティックを見送った直後にマイセウスはその生涯を閉じている。
そのため、彼がその後のヒコやニアーティックの活躍を知ることはなかった。

魔法を滅ぼした者

「科学によりすべての魔法は実現可能であり、魔法の力は特別なものではない」
この言葉をマイセウスが一番始めに言ったのは20歳の時のことである。
以来、ことある毎に彼はこの言葉を繰り返している。
そもそもこの言葉の発言は「魔法を使えるものこそが偉大である」といった当時のポストマーズ王立魔法学院に対する批判からであった。
やがて、技術力が進歩し、様々な道具が魔法の代用となると魔法自体は徐々に衰退していった。
これらの道具の開発のいくつかにマイセウスが係わっていたことと先の発言によりマイセウスは魔法を滅ぼした者としてポストマーズ王立魔法学院などに非難されることになる。
しかし、彼自身は魔法に対する研究をおろそかにしたことはなく弟子の育成にも熱心だった。
事実、彼の弟子にはロマーズの十二魔法士のネイス・カーン、二十信徒のニアーティック・ロリアなど高名な人物が多い。

説時原論

マイセウスの死後からおよそ90年後の統一暦1057年一冊の本が世に出る。
説時原論と題されたこの本は三人の王の物語について記されており、
人が神の力を得ようとしたのではなく、神が人の力に嫉妬して人を滅ぼそうとしたという物語の根源を否定するような内容だった。
統一暦2012年にマイセウスが著者であった可能性が高いことがわかるとこの本と共にマイセウスに対する評価の見直しが行われるようになった。

関連年表

統一暦868年:マイセウス・リンドウ生誕。
統一暦880年:マイセウス・リンドウ12歳でポストマーズ王立魔法学院の院長に認められ最年少の学院生になる。
統一暦883年:マイセウス・リンドウ15歳でポストマーズ王立魔法学院の主席になる。
統一暦885年:マイセウス・リンドウ17歳の時に、ポストマーズの内乱(885年の役)においてその力を発揮し、トマーズを危機から救い、功績を認められポストマーズ王立魔法学院のテストールを任命されるがこれを固辞する。
統一暦886年:マイセウス・リンドウ18歳の時に、放浪の旅に出る。リーン・ホワントとの出会い。
統一暦970年:マイセウス・リンドウ死去。
統一暦1057年:説時原論が発表。
統一暦2012年:説時原論がマイセウス・リンドウの著書の可能性が指摘される。


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